人間禅道場

〒272-0827
千葉県市川市国府台6-1-16
TEL 047-373-7572
●北総線矢切駅徒歩5分
メインメニュー
ブログ
検索
このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
トップ  >  禅との出会いは素敵な人との出会い 張替剣外


 支部長からの突然の指名により、浅学非才を顧みず、この拙文を書き始めたのは平成26年1月29日。奇しくも無得庵小川刀耕老居士(以下、小川先生と尊称する)のご命日であったことは不思議な因縁を感じる。愚生がこの禅の世界に入ったのも、小川先生のお導きがあったからに他ならないからである。
 
1.小川先生の百回稽古、長野先生の禅語解説
 
 月刊『剣道時代』誌に小川先生の「百回稽古」を担当していた職場の上司(小澤誠社長、享年52歳)の逝去に伴い、連載を引き継ぐことになったのは、平成8年の夏であった。時はアトランタ五輪の女子マラソンで活躍した有森裕子の話題で一色だった。

「百回稽古」は、小川先生が“昭和の剣聖”と謳われた持田盛二範士十段との稽古の記録を克明に記された稽古日誌で、小川先生53歳~60歳、持田先生69歳~76歳までの師弟ともに一番充実していたころの境涯がわかる名著である。赤茶色に変色した藁半紙に鉛筆書きの細かい文字でびっしり書き込んであり、それを小川先生は何遍も何遍も読み返しては、反省、工夫されていた。

 その貴重な宝財ともいえる資料を後世に遺すためには連載だけで終わらせるのではなく、単行本として出版しなければならない。また編集部の責任において註だけは誤りのないようにしなければならないと、特に念入りにチェックした。

 剣道の術理面については、国士舘専門学校と警視庁で小川先生に教えを受けた森島健男範士に、古流の用語については小野派一刀流第17代宗家笹森建美、柳生新陰流第21世宗家柳生延春の両氏に、そして稽古日誌のなかに頻繁に出てくる禅語については寶鏡庵長野善光老師(以下、長野先生と尊称する)に、それぞれご教示をいただき、解説をお願いした。

 長野先生からはすでにお手紙で回答をいただいていたが、いずれも簡潔すぎて、それを参考にしてくださいといわれても、解説の施しようがなかった。もっと読者にわかりやすく解説していただけませんか? 手紙と電話で何度もやりとりしながらお願いしたが、「禅語は説いても解りません。説けば説くほど離れていくようなもの」とつれない返事で、ついに長野先生は加筆されることはなかった。

 平成12年7月29日、小澤誠の命日に『百回稽古』は刊行した。

 数年後、長野先生が帰寂されたと訃報をいただいたのは、先生のお弟子さんにあたる清水正澄居士からだった。ご連絡をいただいたのは、平成17年の11月下旬であったか。生前、老師と親交があったようなので、名古屋から上京した際、一緒にお墓参りに行かないか、と誘われた。あれは冬の小春日だった。幼稚園の年少だった娘を連れて、市川大野霊園へ電車で出かけ、トイレに行きたいとせがむ娘を無理やり墓地まで歩かせ、毛糸のタイツごと霊園のトイレに捨てるハメになったという苦い思い出がある。寒空の下、スカートの下はノーパンの彼女と長野先生の墓前に花をたむけた。
 
2.刀耕忌→剣書勉強会→摂心会→剣禅一味の会で仲間入り
 
 それから4年後の平成21年1月24日、小川先生の遺徳を偲ぶ「刀耕忌」を先生の郷里でありお墓のある熊谷で開催されるというので、取材に出かけた。
 

 

第1回刀耕忌(平成21年1月24日、於 熊谷農業高等学校剣道場)
 


 小川先生が帰郷するたびに立ち寄られたという鰻屋「大正亭」での追憶座談会の席上、宏道会のメンバーと初顔合わせするが、たくさんいらっしゃる上、道号で呼び合うので名前を覚えることができない。それが機縁となり、翌22年5月から始まった擇木禅セミナーの中の「小川忠太郎範士『剣道講話』輪読会」(現在は「剣書勉強会」と改称)に誘われたのが、人間禅との出会いであった。当時43歳であった。

 忘れもしない、あれは平成22年6月25日の夕刻、日暮里・谷中の擇木道場へ期待に胸を躍らせる半面、不安な気持ち半分で顔を出したところ、その不安を一気に吹き飛ばすかのように、千鈞庵佐瀬霞山老師が豪快に、そしてにっこりと微笑まれ、「よくいらっしゃいました~」と、抱きしめんばかりに出迎えてくださった。

 続いて白い剣道着姿の岡根谷無刀支部長をはじめ、幹事の三松無妙居士、読み手の栗山令道居士らも千鈞庵老師同様、「よく来たね~」と、なんともいえない素敵な笑顔で応対してくださり、緊張もほぐれた。

 輪読会のあと、接待係の無刀居士に教わりながら、初めて坐禅を組み(半跏趺坐)、数息観を1から100まで3回半。いや、何度も途中から数えなおした。

 懇親会の席上、(今じゃ恐れ多くて考えられないことであるが)葆光庵丸川春潭総裁老師が上座からわざわざ末席の愚生のところまで来ていただき、「娑婆ではこんなことをしていました」と、工学博士の名刺を差し出されたのは、今でも鮮明に覚えている。「びびび~」と何か強く惹かれるものを感じ、小川先生が修行された人間禅で、長野先生が自分で体得しなければわからないという剣禅一味の境涯を味わうために、この老師に師事したい、と素直に思った。

 また、その日の懇親会で一緒に飲んでいた小川昭氏(のちに入会されて心耕の道号を授与された)と令道居士らが、「この老師なら間違いない!」と太鼓判を押してくださったのも参禅を決意する後押しになった。

 その後、もっと本格的に坐りたいと思うようになって、京葉支部の夏季摂心会、秋の本部摂心会とできるだけ詰め、10月の剣禅一味の会で晴れて入会が許された。

 坐禅を始めて、ものの見方が180度がらりと変わり、あらゆる事物に感謝する気持ちを持つようになった。

 参禅中の葆光庵老師は怖くて人を寄せ付けない厳しさがあるが、摂心会厳修中以外はやさしい仏さまのような微笑みを浮かべて接してくださる。

 古参の先輩のなかには強烈な個性の方も多くいらっしゃるが、人生の酸いも甘いも噛み分けた素敵な人ばかりで、円了後の懇親会では感激のあまり涙を流したことも数回。今でも一番印象に残っているのは、全員で輪になって手と手をつないで「♪靴が鳴る」を合唱したときは、この道にご縁があって自分は救われたと思った。

 まさしく禅との出会いは、素敵な人との出会いの連続であった。
 
 平成25年12月、輔教師に任命され、人間禅の素晴らしさを世に広めていく努力をしなければならぬ。そして、ほんとうの剣道、ほんとうの一本をつかむべく、宏道会に正式に入門、覚悟を新たにしているところである。

◇著者プロフィール
昭和41年横浜市生まれ。流通経済大学卒業後、月刊『剣道時代』誌を発行する㈱体育とスポーツ出版社に勤務。同誌編集長を経て平成24年退職。平成22年、葆光庵丸川春潭老師に入門。現在、人間禅輔教師。(京葉支部)
 

『禅』誌44号(平成26年4月25日発行)より転載

プリンタ用画面
前
剣士の本懐 栗山令道
カテゴリートップ
講話・随筆
次
道場の椿 佐藤妙珠