人間禅道場

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トップ  >  剣士の本懐 栗山令道
 人間禅青年部金曜静坐会の玉道さんから、「栗山先生、『剣士の本懐』を話してほしい」というご要望がありました。
「剣士の本懐」というのは、4年ほど前の『禅』誌28号の特集「剣禅一味」の中で書いた拙文のタイトルを指していることは、すぐにわかりました。当時宏道会で剣道の稽古を始めて間もなかった玉道さんからの「『剣士の本懐』読みました。気迫を感じました!」というコメントを私も覚えていたからです。
 ということで、本日のお話のテーマもそのまま「剣士の本懐」とし、途中からは『禅』誌の文章をそのまま引用させていただきたいと思います。

擇木道場青年部金曜静坐会にて講話する栗山令道居士

「剣士の本懐」などというと、何やらいきなり大上段に振りかぶったような、恐れ多いような感もあるのですが、思うに「剣士の本懐」は、宏道会の大人の会員であるなら、玉道さんにしても、同じく青年部静坐会の魁星さんにしても、それぞれ持っていると思うのです。
 すなわち、文字通りの真剣味、気迫、恐ろしさ、ダイナミック、発散と充田(造語……田は「丹田」の田)、捨て身、相打ち差し違え、相手を通して体ごと「我(ガ)」を切り落とす心地よさ、爽快感、喜び、誇り、サムライの風…
 現人間禅総裁の葆光庵老師は、この宏道会の剣道、とりわけ宏道会の剣道を育てられた無得庵老居士こと小川忠太郎先生に注目され、心から尊敬され、ついに御歳70を過ぎてから竹刀と木剣を握って、毎日素振りをされておられます。
 さらに、この1年間は素振りに加えて直心影流・法定の形を習い始められています。
 宏道会はこの秋、創立56周年記念式を迎えますが、総裁老師の目標は60周年記念式の記念演武に於いて自ら演武をされることにあります!
 これは、どういうことかと申しますと、総裁老師は、人間禅の修行の中に直心影流の「法定の形」を取り入れられようとされておられるのです。それは無得庵老居士の「人間禅に『法定の形』だけでもいいから取り入れると、どこにもない特徴のある道場が出来上がる!」という思いを、総裁老師自らが実行しようと、先頭に立って範を示されておられるのです。
 ということですから、本日お集まりいただいた中心メンバーである青年部金曜静坐会の皆さんも、この「剣士の本懐」というテーマを、ご自分とも関わりのある話としてお聞きいただければ、ありがたく思います。

以下、『禅』誌28号より引用
 かつて、小川先生が当時青少年だった私たちを前に、こう言われたことがある。
「入っただけで恐ろしさを感じる、そういう道場にしなければならない」
 この言葉は、なんの抵抗もなく私たちに入り、自分たちなりに緊迫感のある空気を心がけてきた。見学の態度、姿勢が悪いと、子供であっても容赦なく、剣道の打ち込みと同様の気合で一喝してきたのも、この道場の真剣味、張り詰めた空気を大事に思えばこそのことであったろう。
 しかし、あらためて考えてみる。それは何故の「恐ろしさ」か? 打たれる個所には防具をまとい、打突の衝撃を和らげるよう四つ割りにした竹棒を用いての、命のやりとりや大ケガとは無縁の打ち合いに、「恐ろしさ」はあるか? しかも、蹲踞して立ち上がると同時に間を詰め、交刃の間で細かく軽く速い技を、長い竹刀で交わし合う世間の一般的な剣道に、当人同士、あるいはその光景を目にする部外者が感じるのは、「恐ろしさ」であろうか?
 むしろ、その感覚は遠のいていると言ったほうが当たっているし、やむを得ない現実であると言えるかもしれない。
 と言いながら、私は次に紹介する「目が醒めるような実話」に、先走る胸さわぎを抑えることができない。それは、防具をまとい、竹刀で対峙した名人同士が見せた、まさに真剣勝負そのものの試合、その始終である。
 
 山岡鉄舟と榊原鍵吉の試合
 
 この、日本剣道史上において有名な両者の、しかもほとんど世に伝えられてこなかったと思われる試合を語っているのは、満蒙開拓、直心影流法定の形で知られる加藤完治先生(小川忠太郎先生の師)である。実際にその一部始終を見たのは、加藤先生ご自身ではなく、加藤先生が儒学、歴史の師として心服しておられた伊佐早謙先生であった。その伊佐早先生が直接加藤先生に話した内容を加藤先生がまとめたものが『加藤完治全集 第三巻「武道の研究」上巻』(日本高等国民学校加藤完治全集刊行会事務局発行)にある。以下、加藤先生の記載を引用する。
 
 中村敬宇先生の御使いで伊佐早先生は或る時、山岡先生の許に参上した。
 ところが山岡先生のお弟子達が、今日丁度「内の先生と有名な榊原鍵吉先生との試合がある。こんな機会は二度とないから是非拝見して行ったらどうか」と言うので、「是非拝見さして戴き度い」と申し述べて道場に案内されて、片隅の方に弟子達と共に両先生の試合を拝見した。
 其の時の有様は道場の周囲には山岡先生(榊原先生も?)の御弟子がずらりと列んで固唾(かたず)を呑んで、今や遅しと待って居る。やがて両先生は道具をつけて出て来られたところを見ると、山岡先生は、太い、短い竹刀、榊原先生は普通の三尺八寸の竹刀をとられて、互に一礼し立ち合われた。見て居る内に両先生とも大上段に構えられたが、榊原先生のが普通の上段、山岡先生のは竹刀を斜に冠った上段(?)とにかく両者同じでない大上段に構えて、三間位離れて互に気合をかけて呼吸をはかって居らるる。
 弟子達は皆手に汗を握り、口をひきしめて、どうなる事かと見入って居る。道場内が誠に静かで、只両先生の呼吸が「フーッ」「フーッ」と聴こえるのみである。何とも言えぬ荘厳、寧ろ物凄い光景。斯くしている内に十分たち十五分たつ、両先生の頭からは汗の湯気が立ちのぼる。弟子達は自分(伊佐早先生)に両先生の背中を見ろと言う。見れば両先生の背中も汗だくだく。かくしているうちに相変わらず、両先生は上段に構えた切り少しも動かないで呼吸のみ「フーッ」「フーッ」と吹き合って居る。
 弟子共は自分(伊佐早先生)に両先生の両足を見ろと言う。見ると両先生の両足からも汗がだくだく流れ出て居る。凄滄、荘厳、絶頂に達して口舌筆紙につくせぬ光景であった。斯くの如くしてかれこれ四十分もたったかと思う頃、どちらの先生から引き下がったか自分等にはわからなかったが、御互いに礼をして竹刀をおさめて静かに別れられ試合は終った。拝見して居った弟子達には、どちらが勝ったか負けたか勿論解らぬ。恐らく引き分けというところだったろうとの評であったと。
 之が伊佐早先生の直話である。そして伊佐早先生は言う、一度も太刀を交えられなかったが、あんなにこわい、恐ろしい真剣味の仕合は未だかつて見たことがないと。(以下略)
 
 この時代はまだ、素面素小手の木剣試合や稽古が行なわれていたようである。「鬼鉄」と恐れられていた山岡鉄舟が、小野派一刀流の達人浅利又七郎と出会い、その門人となって浅利先生に対すると、来る日も来る日も同じように、浅利先生の気迫に押されて後ずさりし、ついには入口の戸の外まで出されるや、浅利先生はピッシャリと戸を閉めて奥に入るのを常としたという有名な話があるが、これは素面素小手の木剣稽古である。
 繰り返すが、山岡先生と榊原先生の試合は「防具に竹刀」である。その点においては、一見現代剣道と変わらない。そして、宏道会の剣道に言及するなら、この試合同様に三間の遠間から始まる。竹刀も刀と同じ長さの3尺2~3寸程度。振りかぶりも、打突の精神も、流祖が真剣勝負を元に工夫、制定した形の応用として行なうことを目標とする。すなわち、木刀はもちろん、竹刀を真剣として扱う真剣味の中で、己の我(ガ)を「切り落とし」ていくという、先人が命がけで残した本来の剣道を目指す会である。
 しかし、カタチは似ていても、この両先生の試合を前に、私たちの真剣味の浅さ、境涯の浅さを思い知って、言葉もない……。
 
 剣士の本懐
 
 世間には、このような名人の話や境涯に対して、次のように言う大先生もいる。「われわれとは別次元の話で、現実的ではない。実際の稽古の役には立たない」と。
 しかし、そのような考え方で行なう剣道が、どれだけ剣士としての誇りと喜びを満たしてくれると言うのであろうか? ほとんどの剣士が「剣道」という語を棄てたくはないであろう。中には「道」がピンと来ない人も居るであろうが、それでも「剣」の一字だけは、容易に棄て難いはずである。それは日本人に流れる「血」と言ってもいい。
 時代が変わり、形は変わっても、武士道の精神は「サムライ」「剣士」「大和魂」として、今なお日本人の心の拠りどころとして、現代に息づいている。その日本人の一人として、剣士として、私たちはできるだけ多くの剣友とともに「剣士の本懐」を味わう道を歩みたい。それは、とりもなおさず、「剣」と人間形成の真剣味が一つになった「道」である。
 宏道会の剣道は、段や試合を目的としていないため、年齢や経験、運動神経などは問われない。体力に無理がある年配者なら、素振りや形稽古に数息観、あるいは人間禅の坐禅を中心にするのも一つの方法で、門戸は広く開かれているのである。
 最近の傾向として、未経験の主婦、中年の男性の入会者が目立つが、その一人、玉木友季子(道号/妙香)さんが、『禅』誌27号で宏道会の体験を印象深い表現で次のように綴っている。
 
 竹刀が「真剣」だと想像してみた。すると、もう相手と向き合うと思うだけで恐ろしいことが分かる。まず、私の頭に浮かんだことは、走って逃げることだった。
 竹刀を「真剣」とみなすことで、はっきりすることがある。それは「生死」を意識するようになるということである。私が「走って逃げたい」と思ったのも、まさに死を恐れたからであって、その瞬間、本能的に生きたいと渇望したからだった。
 死と向き合うことの恐ろしさを知ることは、今「生きている」ことを感じることにつながる。そのことを、私たちは普段ほとんど意識しないのであるが……。
 では、「死」を意識するような絶体絶命の瞬間、人はそのことにどう向き合うのだろう? 竹刀稽古でそのことを想定し、実体験するのが宏道会というところだった。(以下略。「逃げないという『愛』―宏道会の剣道に見つけたもの―」より)
 
 終わりに、無刀流山岡鉄舟の高弟である香川善治郎の高弟石川竜三先生の剣道話を以って、この稿を結びたいと思う。再び『加藤完治全集 第三巻「武道の研究」』から引用する。年代がはっきりしないが、加藤完治先生の愛弟子の酒井章平先生と小川忠太郎先生とが、東京大久保にあった石川先生の寓居を訪れて教えを受けたという前置きの後に、小川先生の御質問に石川先生が答える場面から始まる。
 
 小川先生「石川先生が無刀流に転ぜられたる動機はどんな処からでございますか?」
 石川先生「私は若い時から剣道が好きで、今の長い竹刀で修行をして居りました。処が27、8歳の頃長い竹刀を使うている中にだんだん斯の様な剣道をやっていることに不安を抱き始めました。
不安とは何かと云うと『真剣勝負の場合にこんな竹刀で稽古をやっていて役に立つものであろうか』と。
 その時分、国の無刀流の友人が時折訪ねてくれたので立合ってみると、自分が相手を打った気がしない。反対にたまに友人に打たれるのは自分の骨身にこたえて本当に切られた様な気がする。丁度折も折、香川善治郎先生が金沢に来られたのですぐ入門して教えを請うた。(中略)
 近頃は娯楽とか自由とか申して骨を折ることを惜しみますから自分の力にはなりませぬ。そして骨を折らないで名と利に走る。物をあやまるは凡て我慾我念。之を捨てれば求めずして光明は現われる。苦しい中にも之をつかめば安心がある。内に安心する所が無いから外物に誘われる。名聞利益が来れば泰然自若とすることが出来ずして迷わされる。大死一番しなければ我慾我見は捨てられぬものです。剣術は死ぬ稽古をするのです。
 処が近頃の剣術は自分が生きる為の稽古のようです。どうも理屈を言ってはいけませんが、今の剣術の堕落はひどいものです。なんでも早技で一寸当たれば勝負あったりとするのですから当たることに夢中になって、肝心要の慾を捨てる処か己をあざむいても勝ちたい、打ちたいと云う有様です。今の勝負は勝負になりませぬ。名前の上に○印をつけられたから勝ったの負けたのと思っとるだけでごわす。
 相手に仕掛けられて、心が動いたら打たれなくても負です。『参った』と云って反省する。昔の試合はあんなものでありません。」(以下略)
 
 以上で終わりで、もう時間もいっぱいのようですが、最後に「法定の形」のほんのサワリだけ、「努力呼吸」と「打ち込み」の実習を皆でやってみましょう!


法定の呼吸法で素振りを実習する参加者

 なお、法定の呼吸法、素振りについては、拙文「禅」誌31号「古武道のエッセンス―老いも若きも初心者も、今日から活かせる剣道―」を参照いただければ幸いです。
 ご静聴、ありがとうございました。
合掌
 
初出 平成20年12月15日発行『禅』誌28号 特集「剣禅一味」
   平成24年6月29日 擇木道場青年部金曜静坐会若者向け講話より
 
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