人間禅道場

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不期明日

 
      
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不期明日      明日(みょうにち)()せず    

 正保三年千宗旦(1578~1658)がこれまで住んでいた不審庵を中心とした屋敷を跡目の宗左(1619~1672)に譲り、その北の十六間四方を隠居屋敷と定め、普請にかかり住居と小座敷とを営み、九月に内々に屋移りし正月に()()の披露をした。この小座敷が裏千家の今日庵の発祥であることは、大方のご承知のとおりである。
 宗旦が長年の親友である大徳寺の清厳宗渭(せいがんそうい)(1588~1661)をこの新しい隠居所に招待した。しかし約束の時間が2時間余過ぎても和尚が現れず、宗旦は他に約束もあったので、「和尚がもし来られたら、明日改めてお越し下さるように申しあげよ」と言いおいて外出した。その直後に和尚がみえられたので、宗旦の伝言を申し上げたが、和尚はかまわず小座敷に通り、しばらくして出てきてそのまま帰ってしまわれた。やがて帰宅した宗旦が、家人からそのことを聞いて小座敷に入ってみると腰張りに墨痕鮮やかに、
 懈怠比丘不期明日――懈怠(けたい)比丘(びく)明日(みょうにち)()せず
と書かれてあった。その表の意味は「明日改めてお越しをとのことじゃが、私は怠け坊主だから、明日ははたして来られるかどうかわからない」ということである。そして裏には、人の寿命は明日をはかりがたいものである。私はいつも自分の命は今日一日だけだと考えて、今日ただ今を力いっぱいに生きることにつとめている。だから明日の約束はできない。
 というような意味をこめていたのである。宗旦はこの書置きに接して深い感銘を受け、これにちなんでこの小座敷に「今日庵」という名をつけたのであった。
 「明日を期せず」という語は清巌の「懈怠の比丘、明日を期せず」を圧縮したものである。比丘は僧、比丘尼は尼で不用である。「不期明日」で十分である。この四字一句は私達が一度きりの人生を悔いなく、生きがいあるように生きるために、深く肝に銘じておくべき箴言(しんげん)でもある。      
 この「不期明日」という生き方は、清巌和尚がはじめていいだしたものではなく、曹洞宗の宗祖道元禅師の談話を弟子の弧雲懐奘(1198~1280)が筆録した「正法眼蔵隋聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の数節を引いて「不期明日」の真意の解説に代えることにしよう。
 〇念々止まらず、日々遷()して無常迅速なること眼前の道理なり。(されば)只念々に明日を期することなく、当日当時ばかりを思うて、後日は(はなは)不定(ふじょう)なり、知り(がた)ければ、只、今日ばかり存命のほど仏道に随はんと思ふべきなり(第一)
 〇只今日今時ばかりと思ふて、時光を失わず学道に心をいるべきなり。(第二)
このような思想ないし教誡は江戸中期に出た(どう)(きょう)慧端(えたん)禅師(1642~1721白隠慧鶴の師)はその「聖人一日暮し」において「一大事と申すは、今日ただ今の心なり。それをおろそかにして翌日あることなし。すべての人に遠きことを思ひて謀ることあれども、的面の今を失うに心づかず。」と端的に説いておられる。
 芳賀幸四郎著「新版一行物―禅語の茶掛」上巻より          人間禅
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