人間禅道場

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賓主歴然

 
      
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(ひん)(じゅ)歴然(れきねん)

(ひん)(じゅ)歴然(れきねん)」という語は、禅家で普通に用いられている語で、なにも臨済和尚の専売特許ではない。しかし、一般には臨済の語として知られている。それは彼の語録「臨済録」に「賓主歴然」の一段があり、それが今日も公案として用いられているからである。 臨済の出た唐代の頃には大きな禅寺には東西に二つの僧堂があり、それぞれに首座(しゅそ)がいて雲水らを指揮統率し、(きそ)いあいながら修行生活を営んでいた。ある時、この東西両堂の首座が顔を合わせるや、「今日は」という挨拶の代りでもあろうか、同時に、しかも声の大小高低もなく、互いに「カアーツ」と臨済会下(えか)名物の「喝」を下しあった。 その場にいて、この有様を見聞していた一人の僧が居合わせた臨済和尚に向かって「両主座が同時に同音に喝を下しあいましたが、その間に賓主がありましょうか。優劣がござりましょうか」と尋ねた。すると和尚「賓主歴然ⅱ-― はっきりと賓主がわかれておる」と答えられたという。和尚、どこをどうにらんで、どういう肚で「賓主歴然ⅱ」と答えたのか、これについてのお主の見解はどうじゃ、というのがこの公案の眼目である。これは公案であるから、これ以上の立ち入った解説はさしひかえるが、後刻、臨済は大衆(たいしゅ)に向かって「私が賓主歴然といった肚を知りたければ、東堂と西堂に行って、両首座にそれぞれ問うてみるがよい」と注意を与えられた、いうことだけを付言しておこう。
 公案としての「(ひん)(じゅ)歴然(れきねん)」については、この程度で説明を打ち切り、次に一般的な禅語としての解説に移ろう。賓主とは賓客と亭主、見られる彼すなわち客観と見る我すなわち主観ということで、賓主歴然とは主と客、主観と客観との区別がはっきりしていることであり、さらにいえば差別歴然という意味である。人間をはじめ万物はみな宇宙の大生命、仏教のいわゆる「如」の顕現したものとして、本体からみた場合すべて一味平等で差別がない。しかしその反面、それぞれの形相と作用とからみると、万人みなそれぞれに個性をもっていて、男女・老幼・賢愚・美醜と差別歴然であり、万物もまたそれぞれに特殊性をもち大小・長短・黒白・硬軟と千差万別である。本体からみれば一味平等、形相と作用とからみれば差別歴然である。しかしそうはいっても、本体と形相と作用の三者はもともと不可分一体のものであるから平等即差別、差別即平等であるのが、円満かつ具体的な真理である。                                                                                                                                                       
 わが国では戦前はとかく貴賤・上下・長幼・貧富などの差別の面が強調され、人間平等の面が軽視されていた。その反動としてであろうか、戦後は平等の面だけが力説されて差別の面が無視され、男女・親子・師弟・社長と社員の区別がつかなくなり、その区別を説くことはあたかも罪悪を犯すことのように思われたきた観がある。しかしこれはまちがいである。少なくも行きすぎである。
 芳賀幸四郎著「新版一行物―禅語の茶掛け」上巻より 人間禅
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