人間禅道場

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釣月耕雲
        
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(ちょう)(げつ)(こう)(うん)

 これは「釣月耕雲」と棒読みしてもよく、「月を釣り雲を耕す」と読んでもよい。ところで、その意味が問題である。さる禅語の辞書は、これとほぼ同義の「耕雲種月」を「雲に耕し月に種う」と読んで、これを「雨の日も月の夜も耕作にはげむの意にて,辛苦を厭わず修行するに喩うる也」と解釈している。これも一つの解釈ではある。しかしこれはあまりにも低く浅すぎる解釈だ、と私は思う。 中国の詩人・高士で耕雲と号した人物は数名あり、我が国にも少なくない。その一人は、南朝に仕えて内大臣に昇り学者・歌人として室町初期に重きをなした花山院長親であり、もう一人は幕末に出て、水戸藩の尊王攘夷運動をリードした武田耕雲斎である。また私の禅の師匠の立田英山老師も、その庵号を耕雲庵と号しておられる。
 ところでこれらの達人・高士が「耕雲」と号とされたのはもっと高く深い意味を見出されての事と推測される。それについてよい参考になるのは、日本曹洞宗の宗祖永平道元(一二〇〇~一二五三)の「山居」と題する頌の一つである。
   西来粗道我東伝      西来の祖道 我東に伝う
   釣月耕雲慕古風      月を釣り雲を耕して古風を慕う
   世俗紅塵飛不至      世俗の紅塵 飛んで至らず
   深山雪夜草庵中      深山雪夜 草庵の中      というのである。
 道元が宋に渡って天童山の長翁如浄に参じ、曹洞禅を伝えて帰朝し世俗的な名利を厭離して越前の山中に永平寺を開き、大梅法常ら古仏の風格を慕って山居を愛したことは周知のとおりで、この一頌はその心境をありのままに詠じたものである。してみるとここにいう「釣月耕雲」は「高く世俗を超越し大自然を友として宇宙的次元において生きる」という意味にとってこそ道元の真意にかなうものである。古来からの達人・高士が耕雲と号したのは、まさにこの意味においてであろう。 もっとも「月を釣り雲を耕す」などというと、大言壮語・誇大妄想もはなはだしいと評する人あるかもしれないが、一呼吸の間に宇宙を吞吐する禅者の立場からみれば、これくらいのことはなんの造作もないことである。臨済宗中興の祖・五祖法演が弟子に向かって、「虚空を紙となし、大海を硯となし、須弥を筆となして祖師西来意の五字をかいてみよ。」と迫ったといわれ、それが今も初心の修行者の授かる公案となっている。この公案がとおれば、「釣月耕雲」が決して大言でも壮語でもないことがわかるであろう。そもそも茶杓で茶をすくい茶筅で茶を練ることと、月を釣り雲を耕すことと、いったいどれほどのちがいがあるであろうか。
 芳賀幸四郎著「新刊一行物――禅語の茶掛けー」上巻より          人間禅
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