人間禅道場

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寂然不動
        
()()()() 寂然不動       寂然(じゃくねん)不動(ふどう)

 茶道の理念とされる「和敬静寂」の「寂」には、高低二つの意味が考えられる。高次の「寂」とは円寂すなわち涅槃(ねはん)・ニルバーナの意味である。涅槃にもまた四種の別があるが、最高の涅槃とは、人間をはじめ無生物に到るまでの一切の存在がみなそれぞれの特性を十分に発揮し、独立自存しながら、しかも全体として大調和を構成している世界のことである。これに対して低次の「寂」とは、この「寂然不動」の意味である。 「山靜かにして太古(たいこ)の如し」というその深山のように、物音一つせずひっそりとし、また表面がいかに波立とうとも微動だにしない深海の水のように不動だ、という意味である。 しかし、現実の人生には騒音があり喧噪があり、人びとは絶えず活動しているし、自然界では木は風に揺らぎ水は不断に流れている。それなのに寂然不動とは、いったいどういうことであろうか。一言でいえば、これは悟りの眼をもって自然と人生とを眺めた場合の消息である。悟りの眼をもって眺めれば、木の葉が風に揺らぎ、流れがさまざまに波立つままに寂然不動であり、悟りの耳をもって聴けば犬がほえ、電車がきしむままに寂静(じゃくじょう)そのものである。 もし迷いの境涯におれば、どのような深山幽谷に逃れようとも喧雑を免れえないし、悟っておれば車馬往来の十字街頭にいようとも、深山におると同じく清閑寂静である。
 「菜根譚」に その中を(よく)にする者は、山林も其の寂を見ず。其中を虚にする者は. 朝市(ちょうし)も其の喧を知らず。 という一章があり、また 天地中の万物・人倫中の万情・世界中の万事、俗眼を以て()れば、粉々各々異なるも、道眼を以て観れば、種々是れ(じょう)なり。 という一章もあるが、いかにもそのとおりである。
 ともあれ寂然不動とは、何の音響も動きもない死の世界のことをいっているのではない。それは「一鳥鳴いて山更に幽なり」という漢詩句、また松尾芭蕉の「(しずか)かさや岩にしみいる蝉の声」の句をよく味わえばわかるように、動を含んだ静の世界である。

  芳賀幸四郎「新版一行物―禅語の茶掛けー」上巻より            人間禅
 
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