人間禅道場

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勿嫌底法
      
  勿嫌底法          (きら)(てい)(ほう)()

 これは「臨済録」の「語録」の部の「四種無相の境」の一段に「約山僧見処、勿嫌底法」とあるのを、沢庵が採択して揮毫したもので、「(きら)(てい)(ほう)()し」と読むべきものなのである。「勿」という字は一般には禁止の助辞として「なかれ」と読むのが普通であるが、時には否定の助辞として「無」や「没」と同義に使用することもあるのである。したがってこの四字は「無嫌底法」と同義なのである。だがそれはどういうことであろうか。
 およそ法には仏法・法則などの場合のように、梵語のダルマーすなわち真理という意味もあるが、「万法」「諸法」の場合のように、物とか存在とかいう意味もある。そしてここにいう「嫌う底の法」の場合の法は後者の意味である。したがって「嫌う底の法勿し」とは、「嫌うべきもの何一つない」ということである。これは禅さらには大乗仏教のどういう宗旨を表現しているのであろうか。
 大乗仏教の根本教理は、「一切の衆生、みな悉く仏性を具有する」ということであり、さらにひろげて「山川草木禽獣蟲魚ないし瓦礫に到るまで悉くみな成仏している」ということである。そして「法華経」はこれを「一色・一香、中道に非ざるは無し」と説き、仏教の世界観を「諸法実相」と要約している。形相や作用からみれば人間には賢愚・美醜・貧富の別があり、万物もまた大小・長短・曲直・方円とさまざまではあるが、みな真如のあらわれとしてそれぞれに仏性を円満にそなえており、それぞれ立派に成仏しているというのが、大乗仏教の根本教理であり、禅の世界観の根幹である。 この「諸法実相」「万物成仏」という根本教理から眺めれば、賢愚・美醜に関係なく、人間はすべて仏性の体現者として絶対であり、万物は大小・曲直に関係なくみな真如のあらわれとして絶対である。
 そこには、これは醜いからとて嫌うべきものもなく、美しいからとてとくに執着すべきものもなく、またこれは汚いとて棄てるべきものもなく、浄いからとて愛着すべきものもないはずである。「嫌う底の法勿し」というこの四字一句は、実にこの大乗仏教根本教理に立ち、その「諸法実相」の世界観を裏から表白し、禅者の無執着の境涯を端的に表現したものにほかならないのである。   
 なお禅の古典「信心(しんじん)(めい)」の冒頭に、「至道は無難なり、唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う。(わず)かに憎愛無くんば(とう)(ねん)として明白」という四句があり、それがそのまま公案となっているが、もしこの公案を実参実証の上で透過し、「至道無難」の端的をわがものとするならば、この「嫌う底の法勿し」のより高い宗旨と、より深い境涯とがよく納得いくであろう。

芳賀幸四郎著「新版一行物―禅語の茶掛」  上巻より
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