人間禅道場

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古教照心【こきょうしょうしん】
      

 日本曹洞宗の宗祖

道元(どうげん)禅師の主著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の第五に「重雲堂式(じゅううんどうしき)」という一巻がある。これは延応元年(一二三九)四月、道元が宇治の(こう)聖寺(しょうじ)において衆僧に対し重雲堂(雲堂とは僧堂のこと。僧堂一宇では足らず、別に増築した僧堂を重雲堂という)内における威儀作法を説述したものであるが、そのなかに、
 一、堂の内にて、たとひ禅冊なりとも文字を見るべからず。堂にしては、窮理瓣道すべし。明窓下に向ふては、古教照心すべし。寸陰捨つることなかれ。専一に
功夫(くふう)すべし。
という一条があるが、これは「古教照心」の四字の日本におけるはやい用例であろう。 この一条の前半の意味は、「僧堂は坐禅の場所であるから、ここではたとい禅書であっても読んではならない。僧堂内であってはただひたすら坐禅
工夫(くふう)にはげめ」ということで、これは当然のことでわかりやすい。問題は後半である。「明窓」とは、本来はうす暗い僧堂内に設けられたあかり窓のことであるが、そうとると僧堂内でも「古教照心」、簡単にいえば読書を許すことになり、前半と矛盾し首尾一貫しない。したがって、ここの「明窓」は僧堂内のあかり窓のことではありえない。では何であろうか。
 「禅苑
清規(しんき)」八の「()(きょう)文」に「明窓浄案、古教照心」という一句があるが、ここにいう「明窓浄案」とは修行僧たちが経典(きょうてん)や祖録などを看読するのに便利なように、あかり窓を設け机を配備した場所のことでさらにいえば、いわゆる衆寮のことである。「重雲堂式」にいう「明窓下」とはこの「明窓浄案」すなわち衆寮のことである。したがって先に掲げた一条は
 坐禅の場である僧堂では、ただ坐禅工夫に骨折れ。また経典祖録看読の場である衆寮では、ひたすらに「古教照心」につとめよ。僧堂であれ、衆寮であれ、寸陰を惜しみ、一心不乱で修行にうちこめ。
 という訓戒である。そしてこれで「古教照心」の意味もおのずから明らかになったと思うが、さらにいえば、 法華経・金剛経などの経典、趙州録・臨済録などの祖録、また碧厳録などの古典を熟読し、これらによって自己の心を照らし、その邪を捨て、迷いを去り、また自らの至らなさを反省し開悟の機縁とすること。とまとめてよいであろう。いやしくも禅の修行者が経典・祖録を看読するのは、それによって単なる博識の学者になるためではない。経典・祖録にみえる仏祖や古徳らの
(ごん)(きょう)ないし行動を自己の反省の(かて)とし、それをもって自己の心を照らし、悟りを開き、さらに悟りを深め、自らの境涯を高めるためであるべきである。「古教照心」の四字は、単に仏教の経典や禅の祖録を読む時に限らず、広く世界の古典を読むに際しても、忘れてはならない一句である。
          芳賀幸四郎著「新版一行物―禅語の茶掛   上巻より            人間禅   

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