人間禅道場

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      (ゆめ)

 

  
      
   


人びとは「夢」の一字にいろいろな意味をもたせて使っている。「今の若い者には、どうも夢がない」などという場合には、将来の理想とか希望ないしビジョンの意味である。しかし禅者がこの一字を揮毫するのは、この意味の夢ではむろんなく、また睡眠中にみるあの夢の意味でもない。禅者はこれに「人生は畢竟(ひっきょう)ゆめなり」という意味を託して揮毫し、また鑑賞するのである。ちなみに「金剛経」に「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観―一切の有為(うい)の法(存在)は夢幻泡影の如く、(つゆ)の如く(いなずま)の如しと、(まさ)()くの如きの観を()すべし」とあることは、ご承知の方も多いであろう。 この一文はまさに大乗仏教の人生観を要約したものであるが、それをさらに圧縮したのがこの「夢」の一字なのである。 事実、われわれ人間は必ず死ぬものであり、しかもその人生は短く、かつ一回限りである。たしかに人生は畢竟夢にすぎない。しかもそのさだめは人間だけではなく、一切の存在がみな免れえないものである。人間は生物の本能として死を怖れ、自らの死を、考えたがらないものである。しかし、いくらもがいても、ついに死を回避することは不可能である。としたならば、この死から目をそらさず、この不可避な死とまともに対決し、「人生、畢竟夢なり」というこの冷厳な事実をはっきりと認め、その上で生きがいあるように生きるのが、勇気あり叡智ある者の生き方というものである。
 

 人間はついに死ぬものであるからこそ生きていることが貴く有難く、人生は短いがゆえにこそ今日の一日・只今の一刹那を何ものにもまして護惜(ごしゃく)し、人生はただ一回限りなればこそ第一義に立って悔いなく力いっぱいに生きようというのが、「人生は夢なり」また「夢」の一字から帰結さるべき正しい生き方である。「一期一会」という考えも、この生き方の上にたってこそ成り立つはずである。

 お茶人の間では、「夢」の軸は追悼の茶会しか掛けない約束になっているようだが、「夢」の一字の真義からみて、この約束ははたしてどういうものであろうか。平常の茶会にもこれを掛け、主客ともに生きていることの有難さと今日の一日の貴さに思いをひそめ、一期一会の思いを新たにしてこそ、道としての茶,真の茶道に近づくゆえんではなかろうか。 清巌(せいがん) 宗渭(そうい)(げん) (ぱく) (そう) (たん) 新築の一畳台目の茶室の下張りに「 懈怠(けたい) 比丘(びく)、明日を ()せず」と書きのこしたのが、「今日庵」という庵号の由来だとうかがっているが、そうだとしたら、今日庵門下の茶人は、なおさら日頃掛けてよさそうなものである。
 

 なぜなら「明日を期せず」とは、「人生は畢竟夢で、今日あって明日あるを期しがたい。さればこそ今日只今の一刹那を大切にする」という意味で、「夢」の一字の真義に深く根ざすものだからである。


人間禅師家 故芳賀幸四郎(元東京教育大学教授・文学博士)著「新版一行物-禅語の茶掛」より

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