人間禅道場

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下戴清風【あさいのせいふう】
  
    

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 「碧厳録」の第四十五則に、『僧、趙州に問う。万法一に帰す。一何れの処にか帰す。我青州に在って、一領の布衫(ふさん)を作る。重きこと七斤。』 という「万法帰一」と題する一則が採録されている。ある僧が「儒教のほうでも、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずと説いております。したがってこれを逆にして、万物は三に帰し、三は二に帰し、二は一に帰す、つまり万物は一に帰す、ということは理としてもわかりますし、禅の悟りを得たことで、ことによく納得できました。しかし万物の根源であり帰着点である一はさらにどこに帰するのでしょうか」と、趙州に意地悪い、しかも大問題をつきつけてきた。これに対し趙州は「わしが青州におった時分にのう、一着の布子(ぬのこ)を作ったが、これが大変重くて七斤ほどもあったワイ」と答えた、そしてこれはこの問に対して立派な答えになっているのだが、こう答えた趙州の肚どこにあるのか、それをつかんでこいという公案である。
この公案に対し雪竇(せっちょう)重(じゅう)顕(けん)は趙州の肚(はら)をよく看破して七言四句の偈頌(げじゅ)を作っているのであるが、その転結の二句に
   如今放擲西湖裏   如(にょ)今(こん)放擲(ほうてき)す西湖の裏(うち)
   下載清風付与誰   下載(あさい)の清風 誰にか付与せん とある。
「下載清風」というこの一行物は、この二句を四字に縮めたものである。 「一、いずれのところにか帰すなどというが、そんな悟り臭い〈一〉なんて西湖に捨ててしまったワイ。迷いはもとより、規範だとか悟りだとかを忘れ、それから解放されたこの涼しさ、こればかりは誰に伝えようもない」というのが、その一通りの意味である。
 「下載の清風」とはドッサリ荷物を積込んで船脚も重く長江を上り、港に入った船が、その積荷を全部さばいて陸揚げし、今や船脚も軽く追風に帆をはらませながら長江を下っていく様子である。登山体験でいうならば、肩にめりこむリュックサックを背負ってようやく山頂に達し、リュックをドッカとおろして、雪渓から吹きあげる風に吹かれながら下界を眺める様子とみてもよい。 いずれにしても、なんともすがすがしく慶快な境涯である。そしてそれが悟り臭い仏見・法見などの一切を放下(ほうげ)しきった大無心の境涯、洒(しゃ)々落々、光風霽(せい)月の境涯をさしていることは今さらいうまでもないであろう。


芳賀幸四郎著「新刊一行物―禅語の茶掛けー」上巻より 人間禅(
  
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