人間禅道場

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  無功徳【むくどく】
  
    

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 禅家においては、この三字を「功徳(くどく)無し」と訓読することをせず、「無功徳(むくどく)」と音読するならわしになっている。ご承知の方も多いと思うが、これは菩提(ぼだい)達磨(だるま)が粱(りょう)の武帝(在位五〇二~五四九)との問答の劈頭(へきとう)で吐いた一語で、まことに意味深長な文字どおりの金言である。
 達磨の伝記は定かではないが、通説によると、彼はインドにおける禅宗の第二十七祖般若(はんにゃ)多羅(たら)の法を継ぎ、「中国に禅宗を伝えよ」との師の遺命に従って、老齢の身で南海に航し、途中幾多の艱(かん)難辛苦をなめながら三年の歳月を費して、五二〇年(普通元年、一説には五二七年)ようやく中国の広州(広東州)に到着したことになっている。
 当時、中国は世にいう南北朝時代で、揚子江以南の地域には粱の国が栄え、武帝が国王の地位にあり仏教もすでに流布していた。武帝はこれより先、宝誌(ほうし)や傅(ふ)大士(だいし)らの仏教家と交わり、光宅(こうたく)寺など多くの寺を建て僧侶を養成し、時には袈裟をかけて自ら仏典を講ずるという有様で世間から「仏心天子」とよばれていた。
 それだけに武帝は、達磨大師がインドから渡来したと聞いて大いに喜び、礼を厚くして彼を都の金(きん)陵(りょう)(今の南京)に迎え、次いで宮中に招いて仏教について問答をかわすことになった。そして武帝は開口一番、
 朕(ちん)、即位以来、寺を造り、経を写し、僧を度(ど)すること、挙げて記すべからず。なんの功徳かある。
 と切り出した。彼は心中ひそかに「それはそれは、大きな功徳がござります。現世においては天下泰平・国家安穏・万民豊楽・玉体堅固、来世においては陛下(へいか)をはじめ奉り一族みな上品(ぼん)浄土に往生なさること請合いでござります」というような返答を期待しておったとみえる。
 ところが、達磨から返ってきたのは、功徳無しという文字面のこの「無功徳」の一語であった。達磨がこの一語を吐いた肚は深いところにある。「無功徳」とはまさに真の慈悲・仏の無縁の慈悲のなんたるかをそのものズバリと示した一語なのである。たとえば太陽である。太陽は無量の熱と光りとを地球上のば万物の上に公平に送り、万物を生育せしめている。これはまことに無量無辺の恩恵というべきである。
 しかし太陽は本然(ほんねん)の自性(じしょう)のままにただ燃焼しているだけで、その熱と光りとで万物に恩恵を施してやろうなどとは少しも考えておらず、また恩恵を施しているなどとも意識していない。いささかもその功を誇ることはない。また有難いことだと感謝されようが、細菌から「いやなやつだ」と憎まれようが、ほめられようが、くさされようが太陽はケロリカンとして依然輝いている。この太陽のようなはたらき、これが真の慈悲であり、この太陽のごとき境涯を「無功徳」の境涯というのである。以上
(芳賀幸四郎著「新版一行物―禅語の茶掛 上巻より   人間禅) 
 
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