人間禅道場

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  惺々着【せいせいじゃく】
  
      
    
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 )  この「惺々(せいせい)(じゃく)」の三字はすでに解説した「主人公」と同じく、「無門関」に第十二則として収録されている「瑞巌主人公」という公案即ち、
 
(ずい)(がん)(げん)和尚、毎日、自ら主人公と喚び、また自ら(おう)(だく)す。(すなわち)ち曰く、惺々着。 (だく)。他時異日、人の瞞を受くること(なか)れ。諾々。に典拠したものである
。ちなみに瑞巌師彦は有名な
徳山(とくさん)和尚の法嗣(がん)頭全奯(とうぜんかつ)の法を嗣いだ禅僧で毎日幾度もこのように自問自答し、自ら(けい)(さく)を加えて正念相続をこころみ、自己を練磨していたというのである。
 ここに「主人公」とは本心本性・真実の自己・禅のいわゆる本来の面目のことである。私達は日常ともすると、自己の本心本性をどこかに置き忘れていがちなものである。「孟子」の「告子篇上」に「世の人びとは自分の飼っている鶏や犬が行方不明になれば、熱心にこれを探し求める。それなのに、何より大切なはずの自分の心を行方不明にし、放心状態にしておいて、その心を探し求めることをしない。これは本末顚倒というものである」という一節がある。これはまことにもっともなことである。 瑞巌はこの放心をいましめて、「主人公が留守になっておらぬか」という意味で「主人公よ」と自らによびかけ、「ハイ、居るぞ」と自答し、次に「居るには居っても、居眠りしていては駄目だぞ。ハッキリ目を覚ましておれよ。」という意味で「惺々着ⅱ」(着は動作を強める意味の助辞)と自分で自分に警策を加え、「よーし、承知した」と返事していた。そしてさらに「これから先き人にだまされるではないぞ」という意味で「人の瞞を受くること莫れよⅱ」と自戒し「承知、承知」と自答していたいうのが、この公案の大筋である。 しかし、私はこの「人」を「他」ととって、「真実の自己以外のもの――他人はもとより五欲煩悩とその対象としての万縁万境にたぶらかされるなよ、いつも自主独立・独脱無依の
真人(しんじん)として生きろよ」と解釈しておきたい。これはまさに禅者の悟後の修行の模範というものである。
 芳賀幸四郎著『新版一行物―禅語の茶掛―』上巻より   人間禅 

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