人間禅道場

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トップ  >  今月の禅語 平成二十五年十月分
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在眼前 眼前に在り       (
 
   
 
 私の知人のところに、又妙斎直叟(   ゆうみょうさいじきそう   )玄室(げんしつ)(裏千家十二世)の揮毫になる「在眼前」という三字の横一行物がある。このお軸を掛けると、客から必ず「何が眼前に(  )るというのでしょうか」と質問されるとのことである。
 この語の主語は何か、何が眼前にあるというのか、必ずこれでなければならぬと一義的にきまっているわけではない。客・亭主それぞれの境涯に応じ、またその時と場合とによって、いろいろにあてはめてよいのであるが、普通の禅語としてみた場合には「只だ目前にあり、尋ぬるに処なし」の場合と同じく、仏性ないし法性(ほっしょう)さらにいえば仏・心理が明歴々と眼前にある、満目仏性の現われ出ないものはない、というように解釈するのが無難であろう。
 また「地獄 眼前に在り」という禅語もあるが、一般の茶席においては「娑婆(しゃば)即寂光浄土―悟りを開いてその眼で眺めてみると、大小・曲直・浄穢・美醜さまざまであり、争いもあればねたみもあるこの娑婆が、そのまま極楽浄土である」という大乗禅の見地から、「浄土眼前に在り」と解釈して、これを掛けるのが穏当であろう。 そう解釈すれば、この三字一句は「処々全真」「明歴々露堂々」「無隠(むいん)」「塡溝塞壑(てんこうさいがく)」「百草頭上祖師意」また「遍界不曾蔵」などと、ほぼ同じ意味の句ということになる。
 総じてその本来の意味を把得した上でなら、この禅語を当意即妙に解釈して掛けてかまわないし、かえっておもしろいと思うがどうであろうか。「在眼前」「在目前」とは、その意味ではまことに融通のきくおもしろい句である。
 
 芳賀幸四郎著『新版一行物―禅語の茶掛―』上巻より     人間禅
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