人間禅道場

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無礙  むげ()
  
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 「(げ(がい))」は「(げ(がい))」と同じ意味の字で、「さえぎる、邪魔する、さまたげる、」という意味である。したがって「無礙(むげ)」とは、「さまたげるものがなく、円転滑脱・自由自在にはたらく」というほどの意味である。
 「般若心経」に「菩提薩埵(ぼだいさった)般若波(はんにゃは)()()()に依るが故に、心罣礙(けいげ)無し。罣礙無きが故に、恐怖(くふ)有ること無し」とある。「無礙]の二字はこの「無罣礙」の三字を縮めたものである。ちなみに、この経文の大意は
   菩提薩埵すなわち菩薩は、般若波羅蜜多すなわち一切万物の実相を照破する正智見にいつも住しているので、心中にいささかの曇りもこだわりもなく、いつも清澄である。それ故にまた少しの不安も恐怖もなく、()(しょ)()に応じて円転滑脱にはたらいて渋滞することがない。
ということである。私たちも日常の万事の上において、このように「罣礙無し」でありたいものである。しかし、実際において、そういかないのはなぜであろうか。
 それは根本的には正智見すなわち悟りが開けず、心が煩悩妄想の雲に覆われ、心にいらざる理屈道理や思慮分別の(さび)を生じているからである。また修行をしてどうやら悟りを開いたなどといっても、まだ心の掃除が不十分で正念の相続がよくできていないからである。「万里片雲無し」というように、心の掃除ができ、「万里一条の鉄」というように正念が相続するならば、「心は万境に随って転ず」といい、また「)応無所住而生(おうむしょじゅうにしょう)()(しん)」というように、心はその時その場に応じてスラリスラリとはたらいて、いささかの渋滞もないはずである。 だから、心の無礙自在を得たいというならば、まず何はおいても心の掃除をして正智見すなわち悟りを開き、次いで悟後の修行を継続して悟りを深め正念の相続をはかることである。
 茶道の修行の実際に即していうならば、一方において点茶の手順や道具の扱いないし作法などを反復練習して、これを徹底的に習得するとともに、他方において禅の修行をして悟りを開き、かつ正念相続につとめることである。また禅の修行をやらないまでも、心の掃除につとめ、「上手にやろう」などという助平(すけべい)根性はいうまでもなく、点茶中に一点の雑念も起こらなくなるよう、点茶三昧の稽古に打ち込むことである。そして点茶の上で無礙でありうるならば、日常万事の上でもまたよく無礙自在であり、自由濶達に振舞えるであろう。
芳賀幸四郎著『新刊一行物ー禅語の茶掛―』上巻より 
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