人間禅道場

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識羞  羞を識る
   
         
 
   
 

  識羞(しきしゅう)    (はじ)()
 中国の北宋の時代に出て、蘄州(きんしゅう)(湖北省)五祖山に住して大いに臨済の禅風をおこし、後世、「臨済中興の祖」と称せられた傑僧五祖法演(?~1104)が、「吾れ禅を学んで二十年、ただ(はじ)()れり」と述壊したことは有名な語り草である。「識羞(しきしゅう)」という熟語はもっと前からあるが、禅門でこの語が大いに珍重されるようになったのは、精蜜に調べたわけではないが、どうもこの五祖和尚の述壊が(けん)(でん)されてからのことのようである。私の大恩師の両忘庵釈宗(しゃくそう)(かつ)老師も耕雲庵立田(たった)英山(えいざん)」老師も、よく「善い哉、識羞の二字」と讃嘆しておられたもので、その時の両老師のご表情が今も眼に浮かんでくる。だがそれでは、この二字の真義はどういうことであろうか。
 およそ「一切衆生(しつ)()仏性」さらにいえば「一切衆生悉皆(しっかい)成仏」、これが大乗仏教の根本教理である。この根本教理、悟りの真只中からみれば、今さら「(かみ)、求むべき菩提無く、(しも)、度すべき衆生一人も無し」である。皆が皆、誰の世話にもならず行かんと要せば行き、坐せんと要せば坐し、何の不自由もなくそれぞれにその生を享受していて、迷える衆生など一人もいない。釈迦もこの見地から、いったんは「吾れ()涅槃(ねはん)に入らん」と決意したのであった。しかし、それは悟りの真只中からみた場合のことで、翻って娑婆(しゃば)世界をみると、衆生が迷いの大海におぼれ、救いを求めてもがき苦しんでいるのが現実である。そこで、釈迦はいったんの決意を翻して、「一切の衆生を悉く済度しつくすまで、吾れ涅槃をとらじ」として、衆生済度に身を(てい)したのであった。そしてそれはそのまま、歴代の仏祖たちの生き方でもあった。
 禅語に「牛頭(ごず)(あん)じて草を喫せしむ」というのがある。「牛はもう腹いっぱい草を食って満足し、この上はただ横になって眠りたいだけだ、草などもう見るのもいやだと思っているのに、おせっかいな牛飼いが牛の頭をおしつけて、さあもっと食え、もっと食えと無理()いしてやまない。有難迷惑なことだ」というのが、この語の表面の意味である。そしてこの語は裏に、「仏祖方の衆生済度のはたらき、やれ説法聴聞の、やれ参禅の、という営みは、太平楽でいる衆生にとって、まさにいらざるおせっかいで、有難(ありがた)迷惑のきわみだ」という意味を寓しているのである。たしかにそのとおりで、釈迦も達磨もみな、「牛頭を按じて草を喫せしむ」る(てい)のお世話焼きといってよい。
 
 しかし仏祖といわれる方がたは、たというるさいといわれようと、よけいなお世話だといやがられようと、自分が迷っていることさえ気づかず、太平楽をきめこんでいる衆生を見るに見かねて、「さあ悟れ!」「もっと悟れ!」と働きかけずにおれないのである。悟ったからとて、「身の丈、一寸を加える」わけでもなく、黄金の仏になるわけでもない。それが役に立たないことを百も承知でありながら、しかもこの「(ゆき)(にな)うて(せい)(うず)める」にも似た「労して功無い」営みに、お気の毒にも汗水たらして骨折ってござるのが仏祖といわれる方々の生きざまである。
 五祖法演和尚が五祖山の住持として自らの生きざま、「牛頭を按じて草を喫せしむ」るともいうべきおせっかいと、「雪を担うて井を塡める」にも似た馬鹿げた自らの生きざまを振り返り、思わず「笑うに堪えたり、悲しむに堪えたり」で「まことにおはずかしいこっちゃ」と微苦笑して述懐されたのが、ほかならぬ「吾れ禅を学んで二十年、ただ羞を識れり」の一語なのである。そして両忘庵・耕雲庵両老師が「善い哉、識羞の二字」と賛嘆されたのも、まさに同じ肚からなのである。耕雲庵老師はよく「夢さめてみればはずかし寝小便」と口ずさんで、にやりとされたものであった。
「識羞」の二字は、このようにして倫理道徳辺のことに関するものではなく、「(たん)(せつ)(てん)(せい)」という仏祖の仏祖たるゆえんの神髄、を直裁に表白した一語なのである。
 
芳賀幸四郎(人間禅師家 元東京教育大学教授・大東文化大学教授 文学博士 平成八年没)著
『新版一行物 ‐禅語の茶掛‐上巻』より              
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