人間禅道場

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   妙 (みょう)
  
      
   

 「妙」という字は、古来、仏教や老荘の経典に頻出し、また芸道な どで人びとに愛用されたもので、それだけにその意味は多義でとらえがたいものである。 

妙齢・妙案・妙技・妙音・妙舞・妙訣・妙処・妙薬・妙用・また精妙・微妙・奇妙・霊妙・神妙・玄妙 などの熟語を想起すれば「妙」の字の意味はおよそ見当がつくであろう。

 室町時代の初期に出て能楽を大成した 世阿弥(ぜあみ) 元清(もときよ)は代表的な能楽伝書「花鏡」のなかに とくに『妙所之事』という一章を設けその冒頭で妙とは「たへなり」となり。「たへなる」とは云うは、かたちなき姿也。かたちなき所、 妙体なり。と説いている。しかし「かたちなき所、妙体なり」とは、どういうことであろうか。それについて参考になるのは、 柳生(やぎゅう) 宗矩(むねのり) のまとめあげた柳生新陰流の『兵法家伝書』の「活人剣」の巻の下に見える一文すなわち

(しん)  内に有りて、妙  外に顕る、是を神妙と名付る也。たとへば一本の木に、内に神ある故に、花さき匂ひ、みどり立ち、枝葉しげる也 。是を妙と云ふ。木の神は、木をくだきても、是ぞ神とて目に見えねども、神なくば花・緑も外にあらはるまじき也。人の神も、身をさき ても、是ぞ神とて目にはみえねども、内に神あるによりて、様々のわざをなす也。」

という「神妙二字之釈」の一節である。自らは姿なくして、しかも美しい花を咲かせる木の神のように 、内に在って見事な芸の花を外に開かせる「たへなる力」、それを世阿弥は「かたちなき妙体」と称したのである。世阿弥の珍重した「妙 」を、あえて私なりにまとめれば、 妙とは上上根気の 為手(して) が、長年にわたってきびしい修行を積みに積み、芸道の (おう) () をきわめて、名人の芸境に到り、本人も自覚することなく、いつのまにか体得している純粋で無心な芸はたらきの ()いである。またほのぼのと匂い出るだけで外からは見えず、 したがって文字言語で説明することも、思考や推論で把捉することも不可能で、ただ本人が冷暖自知するほかはない玄微なはたらき、無上 の芸境のことである。

 ということになるであろう。

 そして世阿弥の能楽論における「妙」は、そのまま茶道・花道・書道などの芸道にも、また剣道・柔 道などの武道にもあてはまるであろう。


  著者  如々庵洞然老師(本名  芳賀幸四郎) 人間禅教団師家

     元東京教育大学・大東文化大学教授  文学博士    平成八年没

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