人間禅本部道場

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ブログ - 文化系の同好会カテゴリのエントリ

詩吟の魅力

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/8/17 9:09
詩吟の魅力は腹から大きな声を出すことにつきる。少しくらい心中もやもやすることがあっても練習後、皆さっぱりした顔をしている。

吟じ方もそれぞれ個性があるというのか、各自特徴がある。私個人としては先生が短いコメントは出すが、各人の個性を重んじてくれていると思っている。

詩には中国人作者もいれば日本人作者もいる。形式的には「七言絶句」「五言絶句」が主体だが、短歌や俳句もあり、結構変化もある。始めてもう3年経過したのだが、楽しく練習している。

技術的にどうだろうかなどとは心配なく、興味のある方は一度顔を出してみませんか。

※毎週月曜日の午前10時から耳順会という静坐会をしており、その後、第2週、第4週に詩吟の練習をしています。先生は畠山龍聖先生(岳精流日本吟院免許皆伝師範)です。

栗原道妙


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詩吟同好会へようこそ

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/8/11 15:43
中央支部(本部道場)の詩吟同好会は、平成24年4月9日から始まり、現在まる4年を経過しております。

はじめは静坐会に来られた現名誉会員・畠山昭司(龍聖)氏のご厚意で、原則月2回、第2・第4月曜日の耳順会後1時間、同好会として無料で教えていただいておりました。

氏は岳精流日本吟院という団体の師範であり、ご厚意に甘えていては気が重いので、平成25年4月から稽古の時間を2段階に分け、1時間組と延長2時間組をつくり、1時間組は同好会で月謝1000円、2時間組は岳精流の会員になって月謝2000円を徴収して稽古に励んでおります。

きっかけは、畠山氏が、80歳を超えているのに姿勢がよくきびきびとしていて、折があって詩吟を聞かせていただいたら、素晴らしい張りと艶のある声を出されていたので、我々もあやかって元気をいただこうとお願いしたのが始まりです。

実際に腹から大きな声を出していると健康に良いような気がします。また、主に漢詩を吟ずるのですが,漢詩を読み下すのに慣れてくると、禅の難しい漢文にも慣れてくるようになり、一石二鳥の気がしています。

皆さん、詩を吟ずることにより、真・善・美に触れ、健康で、楽しい毎日を送りませんか?

近況としては、8月2日にメンバーのうち3名が進級テストに挑戦してきました。

11月28日には 岳精流の東京の支部合同の温習会という発表会に出ることになりました。

メンバーは、人間禅会員7名、同名誉会員3名、KUJ静座倶楽部会員1名の計11名です。
数息観をしたあとに、大きな声を張り上げて、心身の健康のため、いっしょに詩を吟じてみませんか?

詩吟同好会世話役 大谷竜穏


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はじめに、お茶の仲間の禅林さんより「自分で抹茶茶碗ができたら良いね~」という発案から、山下一歩先生に教えていただくことになりました。

抹茶茶碗、水指、建水、蓋置き、茶入等、お茶の道具が次々とできていく嬉しさ、自分の手にピッタリ、自分だけの他にふたつと無い手づくりのあたたかさ、こんな贅沢は無いと思います。



花入れでも花一輪で映えます。
洗心庵茶室に作品を置かしていただいて月一回の稽古で恵まれた自然の中、手ひねりの器で点てるお茶は格別です。

陶芸教室で土をひねりながら、一歩先生に点てていただくお茶も美味しくいただいて、次の作品はもう少し大きなものに挑戦したいと思います。

柳生 初枝

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中村@一陶会(陶芸教室)です。

先日作った瓢(ひさご、いわゆるヒョウタン)の花入れが、山下一歩先生の手で無事焼き上がりました。

今回は釉薬を使わない焼締めの手法で焼いていただきました。

釉薬というのは焼く前に器にかける薬で、本来の用途は耐水性を増すためのようですが、焼く過程で色や模様がつく性質を使って装飾にも用いられます。



この花入れにはそんな釉薬が使われていないのですが、濃い緑色をしています。これは、焼く前に先生が表面にまぶした灰が溶けた結果、このような色合いになったそうです。
(ちなみに地の粘土は白色でした)。
あのサラサラした灰が溶けて、しかもこんな濃い緑色になるなんて、ちょっと驚きです。

木村さんのエントリ
http://keiyo.ningenzen.jp/modules/d3blog/details.php?bid=557&cid=21)にある通り、一陶会では手捻りがスタンダードで、この花入れも手捻りで作りました。まだまだ未熟なので上下綺麗に揃えることはできませんでしたが、この歪んだ感じが逆に自然な感じではないかと、個人的には気に入っています。

中村@一陶会(陶芸教室)

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一陶会だより(1) 手捻り

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/7/15 12:21
 月に一度、道場で、手捻りの陶芸を楽しんでいる。

 手のひらの上で、”どら焼き”の形に丸めた粘土を作り、その中心に上から両手の親指を差し込んで、外側を人差指、中指、薬指で支えて、摘まんで廻しながら粘土を立ち上げていく。粘土の摘み具合で、湯呑になり、皿になり、茶碗になり、花瓶ができる。

 ろくろは使わず、切り刻みもしないので、まさに手で捻っただけの素朴さそのものである。なかなか思ったとおりにはならないが、そこが面白い。歪んで凸凹した器は二度と同じものは出来ない。古今東西、唯一無二の私の物となる。

 先週の土曜日(7/11)は男性2名、女性4名が一歩先生のご指導のもと、湯呑、飯碗のほか、茶道で使う「蓋置」、「水差」、「平茶碗」、「建水」などが製作された。これらを素焼し釉薬をかけ、本焼きして9月に先生がお持ち下さる。

 仕上りの作品を見る時にはまた、特別の感慨が湧く。

 作業を終えて、自分の作品でお茶を飲みながらの歓談がまた、格別楽しい。お手製のケーキなど差し入れて頂くことも多い。

木村桃雲 拝

 
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平成27年5月31日(日)12時~、本部道場南寮会議室にて
出席者10名、欠席投句者7名による第296回坐忘会が開催されました。

齋藤幽谷先生(『俳句と些子記』主宰)ご指導のもと、それぞれの投句7句、合わせて119句を鑑賞、互選しあった結果、幽谷先生の15点句に続いて、竜穏さん、崇さんが11点、天碩さんが10点の票を集めた。
この日は崇さん欠席のため、恒例の5月例会のトップ賞は竜穏さんが獲得し、盛会のうちにお開きとなった。

  以下高得点句   (兼題 山女)

  身を包む山気玲瓏山女焼く     幽谷
   天道虫星重かろか軽るかろか    幽谷
  夕雲の写る植田に風走る      竜穏
   逢うたびに違う挨拶花菖蒲      梅風
  鉛筆を削らば木の香梅雨湿り    蕉山
   子の締める初の黒帯涼しかり    崇
  川石を箸置きとなす山女魚膳    天碩

6月例会(第297回 坐忘会)は、6月28日(日)
12時~本部道場南寮会議室にて開催します。

梅雨晴間緑深まる季節、また楽しい句会を致したく皆様のご出席と投句をお待ちしています。
(兼題 短夜)です。

俳句部担当 蕉山 拝

 
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 北寮茶室での稽古は摂心会での茶庭が綺麗となり、障子戸を開けると気持ちの良い雰囲気です。
 落ち着いた中で各自の点前を真剣に練習を致しました。

 月海さんは濃茶の天目台をしました。ほおずきと羽を袱紗で拭くのに一所懸命でした。
 元禮さんは長板濃茶の中柄杓の点前で、長板に柄杓が初めから終りまで置いてある点前でした。
 Hさんも月海さんと同じ点前をきちんとスムーズにおこなっていました。
 師範級の黎水さんと優水さんは真台子の三つ天目の長い点前をしました。

 お花は白のあやめと薄ブルー色の苧環(おだまき)2種生けです。
 和菓子は月海居士のお土産の白隠元の饅頭でした。

 空手の会の皆さんも躍動的な動きの後のお茶はたいへん美味しいと喜んでくださいました。

妙珠 拝


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『禅』誌35号から39号まで、寂庵宗澤書『禅茶録』(1828年〈文政11年〉刊)の現代語訳を京葉支部の片野慈啓禅子が連載され、2014年4月に私家本として自費出版されました。

「茶禅一味」を味わう上で参考に供する記述が多いので、訳者片野慈啓禅子より許諾を得て京葉支部ブログに転載させていただきます。


(二)茶事修行の事(第4段)

 扨(さ)て、茶器の扱ひをもつて本性を観ずるは、直きに坐禅工夫の教なり。

坐禅とて静黙(じょうもく)し居るのみが工夫にあらず、夫(そ)れをば闇証の坐禅とて、天台智者も嫌ひたまへり。

故に去来坐立(ざりゅう)共に行ふが坐禅の要法なれば、茶事にても是くの如く行住坐臥、懈怠(けたい)なく修行すべきことなり。

但し茶事にては、行住坐臥の行ひはなるまじきぞと、或は疑ふべけれど、結句行はるる者なり。
如何(いかん)となれば、常に茶室に入りて点喫修行する折の如く、専ら意(こころ)を用ひて悉(ことごと)く一切の義を行ひ、行住坐臥に油断なく勤むる事なり。日用動静(どうじょう)の間油断なく、此の意(こころ)を施して事を為せば、思慮を労せずして一切能く調ひ、君臣父子人倫の道も、自ら其の極処に造るべし。

特に彼の坐禅観法は、兎角、無量の念想浮び出て煩はしきものなれど、深く工夫すれば、其の工夫に圧されて余念起らざるなり。されど元来、容(かたち)を仮りて行はざる故、ややもすれば工夫の一念、余念に混じて粉擾の憂ひ生じやすし。

然るに茶道は、肢体を活動して其物を扱ひて心を彼(かれ)に寄託すれば、(心を)他情に奪はるる事なく、且つ工夫を尽すに難(かた)からず。これ一休禅師の妙智に出て、実に感賞すべきの妙道也。



(二)茶事修行の事(第4段)

=現代語訳=
 さて、茶器を扱うことを通して、自分の本心本性(ほんしょう)を観(み)るのは、まさに坐禅工夫の教えと同じである。

坐禅といっても静かに黙っているだけが工夫なのではない、そういうのを闇証(あんしょう)の坐禅と言って、天台(てんだい)智者(ちしゃ)も嫌われていた。

それ故、立ち居振る舞いが坐禅の大事なやり方であるから、茶事でもそのように、どんな時でも常に怠(なま)けることなく修行しなければならない。

但し茶事では、どんな時の行為でも、そういう訳にはいかないだろうと、或は疑うかもしれないが、結局できるものである。
どうしてかというと常に茶室に入って点てたり飲んだりする修行を行う時のように、専一に心を用いて悉(ことごと)くすべてのことを行い、どんな時でも油断なく勤める事なのである。日常動き坐る時も油断なくこの心で事を為せば、思慮をわずらわせないで、一切よく調(ととの)い、主君と臣下、父と子などの人の倫理の道も、自らその肝心な処にかなうであろう。

特にこの坐禅観法は、夥(おびただ)しい雑念が浮び出て煩(わずら)わしいものであるが、深く工夫すれば、その工夫におされて余計な念慮は起こらないものである。しかし元来、体を動かしながら行わないので、どうかすると工夫の一念は余計な念慮に混ざって細々(こまごま)しい心配ごとが生じやすい。

しかし茶道は肢体を活動して茶器を扱い心を茶器に寄せるものであるから、心を他の情に奪われることなく、その上工夫をし尽くすことは難しくない。これは一休禅師のすぐれた智慧より出ていて、まことに感心するすばらしい道である。

転記・改行 剣外

 
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『禅』誌35号から39号まで、寂庵宗澤書『禅茶録』(1828年〈文政11年〉刊)の現代語訳を京葉支部の片野慈啓禅子が連載され、2014年4月に私家本として自費出版されました。

「茶禅一味」を味わう上で参考に供する記述が多いので、訳者片野慈啓禅子より許諾を得て京葉支部ブログに転載させていただきます。


(二)茶事修行の事(第3段)

三昧は梵語なり。飜訳して正受(しょうじゅ)と云う。何にもあれ、一心を一処に住せしむるを云へり。

遠法師の云く、「夫れ三昧と称するは何ぞ、専ら寂相を思ふの謂(いひ)なり、思ひ専らなれば則ち志一にして分たず、相寂なれば則ち気虚にして神朗(ほがらか)なり、気虚なれば則ち智怗(しず)かに其れ照す、神朗(ほがらか)なれば無幽にして徹せず、斯(こ)の二つは乃ちこれ自然の玄符、一を用ひて用を致す也」と。

又、『法華経』に、「静室禅定に入る、一心一処坐は八万四千劫」と有りて、一坐の観法は八万四千劫なりとぞ。茶場(ちゃじょう)に入りて三昧を修するは、即ち一坐の観法なり。

又、『優雲宝鑑(うどんほうかん)』に、『宝王論』に云く、「一相念仏三昧を修持する者は、当に行住坐臥に繋念(けいねん)して忘れず、今より昏寐(こんび)にも亦繋念(けいねん)して覚むれば即ち読む」とも引きたり。

此等に倣ひて、点茶せんにも二六時中懈怠(けたい)なく一処に繋念(けいねん)して、偏(ひとえ)に勇猛心を発し修行三昧に入るべし。



(二)茶事修行の事(第3段)

=現代語訳=

三昧は梵語(ぼんご)である。翻訳して正受(しょうじゅ)という。とにかく一心を一ヵ所に留めさせることを言う。

遠法師(えんほうし)が云うには、「それ三昧と言うのは何かというと、ひたすら静かな姿を思う、ということである。心が専一ならば、それは心が一つで、分かれていない、姿が静かならばすなわちその気はわだかまりがなく心は明るい、心にわだかまりがなければ賢い智恵は穏やかに周りを照らす、心が明るければ暗い所が無く頑固にこり固まらない。この気虚(ききょ)と神朗(しんろう)の二つは、すなわち自然の深遠なしるし、一つですべての用をすますのである」と。

又、『法華経』に、「静かな部屋で禅の三昧境に入る、ひたすら純な心で一ヵ処で坐禅することが永遠の時間にもつながることなのだ」とあって、ひと時座禅で集中することは悠久(ゆうきゅう)の時間に浸(ひた)ることなのだと。茶の湯に入って三昧を修得することは、即ち、ひと時の坐禅の修行と同じことなのである。

又、『優雲宝鑑(うどんほうかん)』の『宝王論(ほうおうろん)』に言うには、「ただ一つ念仏三昧を修行する者は、当(まさ)にどんな時にも思いを続けて念仏を忘れず、今から寝る時もまた念じ、目覚めてもまた念仏する」とも言っている。

それらを手本にして、茶を点てるにも一日中いつでも怠けることなく一ヵ処に念慮をつないで、ひたすら勇猛心を発し、修行三昧に入らなければならない。

転記・改行 剣外


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第293回坐忘如月句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/2/16 16:40
平成27年2月15日(日)12時から人間禅本部道場 南寮にて
出席者13名、投句者5名により「第293回坐忘如月句会」が開催された。

斎藤幽谷先生(「俳句と些子記」主宰)ご指導のもと、
それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「東風の波」

檻の猿東風に泪を零(こぼ)したり      幽谷
舟底を打つ東風浪に身を処しぬ       幽谷
南総の春待つ岬アロエの穂         蜂生
壺焼や残りの海水(うみ)を出すあわれ  玄妙
梅東風やおさなき文字の受験絵馬     天碩

浮かびでる筆画のごとき霞富士       まさし
侘助の下向き加減茶事の朝         幽水
世の音を吸収(すい)つくしてや雪積る   真澄
東風吹くや故郷景色目前に          妙珠
薄氷を指でなぞれば雲白き          蕉山

冴返る安全靴の逆さ干し            崇
丘の上良寛も待つ東風の波          了仙
切り貼りの障子明るし日の回る        剛
実万両残る一つの行きどころ         竜穏
夜更けては水仙の香の更に冴え       慈啓

病窓に雪の始終を見てをりぬ        桃雲
昇る日に山野うるほふ初音かな       梅風
雀二羽先客ありと春の雨           道妙
福来り十日戎に孫産る            温雄

次回の坐忘会は、
平成27年3月8日(日)12時~人間禅本部道場 南寮にて
開催します。

兼題「蝶」

剣外 拝


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