人間禅本部道場

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ブログ - 文化系の同好会カテゴリのエントリ

第305回坐忘弥生句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2016/3/22 11:07

平成28年3月21日(月)12時から人間禅本部道場書院にて
出席者10名、投句者5名により「第305回坐忘弥生句会」が開催された。
斎藤幽谷先生ご指導のもと、それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「春泥」

春泥や軍靴の重さわれ知らず         幽谷

卒業子校庭の水飲みて去る          幽谷

春泥の靴整然と檀家衆            崇
麗(うらら)かを言い訳にして遅筆かな    真澄

春泥や入試の結果いまだなし         桃雲


季節とは味はふものよ蕗の薹         竜穏

朝靄の薄衣纏う枝垂梅            蕉山

春泥や句座十人の無名庵           温雄

春塵を払いて臨む監査の日          祖芳

のどけしや午後の店主の大欠伸        剛


前を行く人うすれゆく春の暮         玄妙

烏賊(いか)を干す店小さけれ辛夷咲く    慈啓

春が又隠れてしまう寒さかな         妙珠

雨上り囀りすぐに始まりぬ          道妙

蜂一つ花に居残る夕間暮           蜂生


古地図手に巡る町並梅香る          幽水


次回の坐忘会は、
平成28年5月29日(日)12時~人間禅本部道場南寮にて開催します。
(4月はお休みとなります)


兼題「夏の蝶」

剣外 拝

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第304回坐忘如月句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2016/3/1 7:00
平成28年2月21日(日)12時から人間禅本部道場南寮にて
出席者10名、投句者5名により「第304回坐忘如月句会」が開催された。

斎藤幽谷先生は所用でご不在だったため、それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「岸青む」

春時雨昨夜の粥に火を通す          幽谷
小硯に余寒の水を落しけり           幽谷
籠の鳥春を虚(うつ)ろな声で鳴く       道妙
煮凝りや船の汽笛は街を這ひ         崇
今年また友の遺作の雛色紙          桃雲

彩雲に富士黒々と春たちぬ           元山
師の手紙開き束ねて春隣            慈啓
岸青む日差しに面(つら)を向けていく    玄妙
蔵王の注(つ)ぐ蛇の目猪口梅日和      幽水
岸青むあの山一つ越へて来て         竜穏

妻検診一日(ひとひ)付き添ふ春隣      蜂生
乱れ打つ竹刀の響き寒の朝          蕉山
春雨や踏み石の色変るほど          眞澄
巡れども脳かじかみて苦吟かな        温雄
厳寒の緩むひととき筆を持つ          妙珠

雪柳花穂(かすい)の手触り岸青む       剛

次回の坐忘会は、
平成28年3月21日(月)12時~人間禅本部道場書院にて開催します。

兼題「春泥」

剣外 拝


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『禅』誌35号から39号まで、寂庵宗澤書『禅茶録』(1828年〈文政11年〉刊)の現代語訳を京葉支部の片野慈啓禅子が連載され、2014年4月に私家本として自費出版されました。

「茶禅一味」を味わう上で参考に供する記述が多いので、訳者片野慈啓禅子より許諾を得て中央支部ブログに転載させていただきます。


(三)茶の意の事(第3段)

 是等、正に常楽我浄(じょうらくがじょう)の四転倒(どう)を好み求むるに近し。経文にも、人命は呼吸の間に在りと説きたまへり。

然れば命は須叟(しゅゆ)に終わりて、身は無常なるを常と思ひて、奇玩珍器を聚(あつ)めて秘蔵し、無益(むえき)の宝に念着して生涯を送り、又、心は不楽なるを楽と思ひて茶室や庭に過分の貨(たから)を費し、調理の好悪(よしあし)を択(えら)びて、賓客の応接に思ひを労して最上の楽(たのしみ)となし、又、法は無我なるを、人々各々得たる趣に誇り、己(おの)が所作をば何事も是とのみ取りて、他(ひと)を軽侮し、我を立て偏見に滞ほり、或は一切不浄なるを浄と心得、惣じて潔(いさぎ)よからぬ事を嗜(この)み行ひ、却(かえっ)て潔(いさぎ)よき事と思ひて、清浄心をも穢(けが)す。

此れ皆世俗の悦ぶ茶事にて、実に四転倒の悪趣なり。

「法華経の注に、「愚痴にして放逸(ほういつ)を楽み、常に諸(もろもろ)の苦悩を受く」とぞ。

夫れ一切の衆生は、垢(あか)重(おも)く情深く、無始以来、色塵(しきじん)に迷ひ、無益(むえき)を楽みて諸(もろもろ)の苦みを受け、三界六道に流転して、処々(しょしょ)に生(しょう)を受くるがゆゑに、衆処に生ずと云ふ義を取りて、衆生とはいふなり。

(三)茶の意の事(第3段)

=現代語訳=

 これら、まさに恒常性(こうじょうせい)なきものを常(つね)と思い楽ならざるものを楽と思い、五蘊仮和合(ごうんけわごう)に過ぎぬものを我(が)と思い、けがらわしいものを清浄(せいじょう)なるものと思う、という、四種(ししゅ)の誤れる見解(けんかい)を好み求めることに近い。経文(きょうもん)にも、人の命は呼吸の間に在(あ)り、と説(と)かれている。

それならば命はすぐに終わって体ははかないもの、ということを常に思って、珍しいかわった器(うつわ)を集めて大切にしまっておき、益(えき)の無い宝に執着して生涯を送り、又、心は楽しくないのにを楽しいこと、と感違いして茶室や庭に沢山の財宝を使い、調理の好し悪しを選んで、来賓の接待に心を労(ろう)して最上の楽しみとなし、また、法は無我(むが)であるのに、人々は各々得たと思っている趣向を鼻にかけ、自分の所作(しょさ)を何事にも良し、とばかり思い込んで、他人を軽蔑し、我(が)を立てて偏見にとどまり、或は一切清浄(せいじょう)でないものを清浄(せいじょう)と理解し、おおよそ汚(よご)れた事を好み行(おこな)い、それをかえって清(きよ)い事と思って、清浄心(せいじょうしん)をも汚(けが)す。

これ是世俗の人の喜ぶ茶事(ちゃじ)で、まことにすべて逆の悪道(あくどう)である。

『法華経』の注には、「おろかでしかも好き勝手を楽しみ、いつもいろいろな苦しみを受ける」とも言っている。

さて、すべての生きているものは、垢(あか)重く情(じょう)深く、大昔から、様々な物質界、客観界に迷い、ろくでもないことを楽しんでいろいろな苦しみを受け、生死(しょうじ)・輪廻(りんね)する欲界、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)の三種の世界と地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道(ろくどう)に流転して、その場所、場所で命(いのち)を受けるがため、衆はいろいろな場所で生ずる、という意味で衆生(しゅじょう)というのである。

転記・改行 剣外


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第303回坐忘睦月句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2016/1/19 13:15
平成28年1月17日(日)12時から人間禅本部道場南寮にて
出席者11名、投句者4名により「第303回坐忘睦月句会」が開催された。

斎藤幽谷先生ご指導のもと、
それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「寒念仏」

大寒や遠き山ほど相寄れる           幽谷
寒念仏老ひの拳骨(げんこつ)ポケットに   幽谷
食へば見ゆ甲斐の干し柿甲斐の山      蜂生
人気なき塋(えい)域巡る寒念仏        剛
兄弟は二人となりぬ初墓参           竜穏

微睡(まどろ)めば弾き初めショパン階下より 幽水 
元日や流れのままに計も無く          眞澄
達磨佛照顧脚下に鏡餅             温雄
年越し湯一人ゆったりこの日のみ       元山
数へ日や何事も無き誕生日           慈啓

落陽に冬の赤富士せり上がる         桃雲
薄物の毛布手厚く夜を包む           道妙
子等揃い炬燵に入り百人一首         妙珠
頬被り焼印しるき鍬を手に            崇
泣く子には寒念仏が来たと云ふ        蕉山

寒鰤(ぶり)に前かけしめて向いたり     玄妙

次回の坐忘会は、
平成28年2月21日(日)12時~人間禅本部道場南寮にて
開催します。

兼題「岸青む」

剣外 拝
 
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『禅』誌35号から39号まで、寂庵宗澤書『禅茶録』(1828年〈文政11年〉刊)の現代語訳を京葉支部の片野慈啓禅子が連載され、2014年4月に私家本として自費出版されました。

「茶禅一味」を味わう上で参考に供する記述が多いので、訳者片野慈啓禅子より許諾を得て中央支部ブログに転載させていただきます。


(三)茶の意の事(第2段)

 夫れ趣とは到るの義にて、彼の善悪業の因より、有(う)情の者を其の生処(しょうじょ)に到らしむるも是なり。

六趣の迷淪とは、けだし此に迷ふをいふなり。故に仏性には、心を動かすを第一の破戒とし、心を動かさぬが禅定の要なれば、趣を立てて万事を行ふは、禅茶にては、極めて嫌ふ事なり。

然るに、其の心を動し向ふ主意として、茶事をなすゆゑ、本来禅機とは転倒(てんとう)せり。

凡(すべ)て趣とは、一切の物を執(しゅう)して心を動かし、思慮作為を用ふる意なれば、侘をもつて心を動かすゆゑに奢(おごり)を生じ、器物をもつて心を動かすゆゑに寸法を生じ、数奇をもつて心を動かすゆゑに好みを生じ、自然をもつて心を動かすゆゑに創意を生じ、足るを以て心を動かすゆゑ足らざるの念を生じ、禅道をもつて心を動かすゆゑに邪法を生ず。

是くの如く心を動かすは、皆悪趣の因なり。

(三)茶の意の事(第2段)

=現代語訳=

 さて「趣」とは、到(いた)る、という意味で、あの善と悪の行為の原因から、生きとし生ける者をその生まれた所へ行きつかせるのも、これである。

六趣(ろくしゅ)の迷淪(めいりん)とは、これに迷うことをいうのである。だから仏性(ぶっしょう)には、心を動かすことを第一の戒(かい)破りとし、心を動かさないのが禅定(ぜんじょう)の肝要(かんよう)なところであるので、趣向を立ててすべての事を行うのは、禅茶では、きわめて嫌う事なのである。

それなのに、その心を動かすことに重きをおいて茶事(ちゃじ)をやるから、はじめから禅機(ぜんき)とは完全に違っている。

すべて趣向とは一切の物にこだわって心を動かし、思慮、作為(さくい)を用いることなので、侘(わび)にこだわって心を動かすために人より優れている、という自慢の心を生じ、器物(きぶつ)にこだわって心を動かすために細かい寸法のとりきめが生じ、数奇(すき)(奇)にこだわって心を動かすために好き嫌いの好みを生じ、自然にこだわって心を動かすために自分だけの工夫を生じ、足るにこだわって心を動かすために足らない、の思いを生じ、禅道にこだわって心を動かすために邪悪な法を生じる。

このように心を動かすことは、皆悪い趣向のもとである。

転記・改行 剣外


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第302回坐忘師走句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/12/28 9:30
平成27年12月27日(日)12時から人間禅本部道場南寮にて
出席者13名、投句者3名により「第302回坐忘師走句会」が開催された。

斎藤幽谷先生ご指導のもと、
それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「風呂吹」

 人間禅市川道場茶筅供養
松ぼくり炎(ほのお)はかなし年くるる     幽谷
風呂吹や病みて女の美しき           幽谷
冬麗ら普請の槌(つち)の掛け合いて     玄妙
去年今年棘の抜けたる心地して         崇
枯木立透けて鋭く細き月             桃雲

軒低き鋳物の町や年暮れる          慈啓
風呂吹や自家菜園の大根ほめ         剛
鴨一羽覇者(はしゃ)げと群に気配なし    蜂生
西行の庵は俗避け雪婆(ばんば)       温雄
隧道を出づれば眩し雪の峰          蕉山

雨だけが椿癒しておりにけり          妙珠
冬の靄(もや)鴨は動かず真ん中に      幽水
残り香も清しき冬至風呂上り          竜穏
荒い呼吸(いき)主人引張る冬の犬      道妙
小春日を受けて絵箱の軽さかな        眞澄

次回の坐忘会は、
平成28年1月17日(日)12時~人間禅本部道場南寮にて
開催します。

兼題「寒念仏」

剣外 拝
 
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『禅』誌35号から39号まで、寂庵宗澤書『禅茶録』(1828年〈文政11年〉刊)の現代語訳を京葉支部の片野慈啓禅子が連載され、2014年4月に私家本として自費出版されました。

「茶禅一味」を味わう上で参考に供する記述が多いので、訳者片野慈啓禅子より許諾を得て中央支部ブログに転載させていただきます。


(三)茶の意の事(第1段)

 茶意は即ち禅意也。故に禅意を舎(おき)て外に茶意なく、禅味を知らざれば、茶味も知られず。

 然るを世俗に茶意とするは、一箇の趣を立つるをいへり。

其のたてたる趣を真(まこと)の禅茶意と認めて、証入(しょうにゅう)したる気色(きいしき)面(おもて)に見はれ、増上慢を生じて妄(みだ)りに人を誹謗(ひぼう)し、世上の茶人皆茶意を知らずと言ひなし、或は云く、茶意は詞(ことば)をもって説くべからず、容(かたち)をもって教ふべからず、己れと観じて領解(げ)せよとて、此れを教外(げ)別伝なりとおもひ、独り覚(さと)りたる邪見を起す、これ皆趣のなす業(ごう)なり。

されば、我が建てたる趣と他(ひと)の趣に、彼我(ひが)の隔てをなして、人は悉く茶意を識(し)らずと嘲(あざけ)り笑へど、趣は人々にありて、人々に替(かわ)る者なり。

我が趣に異なるを互に誹(そし)るは、争訟(そうしょう)の基(もとい)にして、慢心ますます募(つの)り、遂に悪趣の俗茶が面白くなりゆき、一切の邪想随(したが)ひて生ずるなり。

是を真の禅茶と思はば、相去こと千万ならん。

(三)茶の意の事(第1段)

=現代語訳=

 茶の心は即ち禅の心である。だから、禅の心をおいて他(ほか)に茶の心はなく、禅の味を知らなければ、茶の味わいも知らない、ということである。

 それなのに世間で茶の心とするのは、一つの趣向を立てることをいっている。

その立てた趣向を本当の禅茶(ぜんちゃ)の心と認めて、もっともらしい様子が顔に現(あら)われ、偉ぶった態度を見せてむやみに人を悪く言い、世の中の茶人(ちゃじん)は皆茶の心を知っていない、と言いたて、或は茶の心は言葉で説(と)くべきではない、姿形では教えることができない自分を見つめて納得せよ、と言って、これを教外別伝(きょうげべつでん)であると思い、自分一人覚(さと)っているという邪見を起す。これ皆趣向のなす所業である。

それだから、自分が立てた趣向と他(ほか)の人が立てた趣向に、彼れ、我の隔(へだ)てをつくり、人は悉(ことごと)く茶の心を知らない、と馬鹿にして笑うが、趣向は人々(ひとびと)にあって人々によってかわるものである。

自分の趣向と違うのをお互いに悪く言うのは、争(あらそ)いのもとであって、自慢気(じまんげ)な心はますます募(つの)り、ついに悪い趣向の俗茶(ぞくちゃ)がおもしろくなってゆき、あらゆる邪(よこしま)な想(おも)いが生まれるのである。

これを本当の禅茶と思うならば、本当の茶から遠ざかること、その距離は大変な距離となるであろう。

転記・改行 剣外


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第301回坐忘霜月句会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/11/24 19:34
平成27年11月22日(日)12時から人間禅本部道場南寮にて
出席者9名、投句者6名により「第301回坐忘霜月句会」が開催された。

斎藤幽谷先生ご指導のもと、
それぞれ作品を鑑賞、互選しあった。

兼題 「葡萄酒醸す」

   芭蕉記念館
白芙蓉紅さしてきし伊賀時雨          幽谷
   服部土芳の蓑虫庵
雨止んで綿虫どつと繰り出でぬ        幽谷
初しぐれ帰り支度の朝市女           崇
木の実落つ積年の書をみな捨てし      蜂生
あけび熟る気儘に生きる生活(たつき)かな まさし

葡萄酒醸す案内嬢に訛(なまり)あり     玄妙
見覚えの癖字(くせじ)で届く喪中状     桃雲
令閨の醸すワインに舌を巻く         蕉山
一人夜の夕餉に添えし柿膾          慈啓
冬の日のあたる所で紙芝居          道妙

弥彦山佐渡は目の前紅葉散る        剛
「吾輩」の碑やビル側(そば)に秋の風    幽水
車窓より先へと呼びし鰯雲           妙珠
昼間より街燈点(とも)る初しぐれ       真澄
隣家より植木剪る音鵙高音          竜穏

葡萄酒の醸す頃なり婚礼日          温雄

次回の坐忘会は、
平成27年12月27日(日)12時~人間禅本部道場南寮にて
開催します。

兼題「風呂吹」

剣外 拝
 
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有楽流お點前の会

カテゴリ : 
文化系の同好会
執筆 : 
人間禅道場 2015/10/14 15:32
平成27年10月14日(水)

絶好の秋晴れに恵まれたこの日、本部道場北寮茶室にて、近隣の茶道愛好者を招いて、有楽流お點前の会が実施されました。



第一席目は、『真台子大丸盆真行之行之三ツ天目』で、長野千水・岸本優水両名が亭主を務め、正客・次客・三客までお濃茶を、他の客にはお薄茶を呈されました。

たっぷり1時間はかかる長いお点前のため、亭主は2人で務め、主客(佐藤妙水師範)総礼のときには、有楽流ならではの武家流の作法や点前に、熱心なお客さまから質問が飛び交いました。

また、第二席目は、『真台子大丸盆真行之真之三ツ天目』で、大石黎水さんが亭主となり、一席目でお薄茶を呑まれた方にはお濃茶がまわるように配慮され、茶禅一味をモットーとする、一つ一つの動作になり切ってお茶を点てられていました。

有楽流茶道の流祖は、織田信長の実弟、織田有楽斎(1547~1621年)であり、千利休の高弟七人の一人に数えられています。徳川家の茶道師範で江戸屋敷跡が、今の有楽町です。

剣外 拝


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昨年の9月末から月曜日の耳順会に参加しております。

当時は孫が「ぽんておうちえん」に通っていたこともあって、人間禅の本部道場の敷地内には何度か訪問したことはあったものの、静座会に参加するのは初めてでした。

耳順会に参加し始めてすぐの頃、第2、第4月曜日の耳順会のあと、詩吟の同好会があって皆で練習しているから、参加してみないかとのお誘いがありました。

自分は昔から音痴だという強い自覚があって、仕事をしていた頃、カラオケなどに無理やり誘われたときなども、皆が歌っているのを横で黙って聞いているという具合でした。

詩吟は歌謡曲とは違うとはいえ、節もリズムもあり正直、自分にはもっとも苦手な分野だと思いましたが、一度見学してみたらとの勧めもあって、練習を見学させてもらいました。

どのような練習をするのかなと思っていましたが、実際に参加してみると、畠山先生の指導のもと全員で大きな声で合吟をして、皆さんが楽しそうにしておられました。当初は一人で詩吟をさせられたらどうしようとの不安もありましたが、練習を見て大きな声を出すのも楽しそうだなと思い、参加することにしました。

普段の日常生活の中で誰はばかることなく精一杯大声を出すこともないので、同好会に参加して皆さんと一緒に大きな声で詩を吟じていると、非常にさわやかな気持ちになり、健康にも良いだろうなということを実感します。

それと、自分は地声が大きくて、職場でも家庭でも声の大きいことをたしなめられることが常でしたが、詩吟では声が大きくて良いですねえと、生まれて初めて声の大きいことをほめられて、ひどく嬉しい気持ちになり、時と所がかわれば物事の評価がひっくり返るものなんだなと感じたものでした。

人間禅にも詩吟同好会にも参加して未だ1年にもなりませんが、未熟な自分を反省しながら皆さんとの交流を楽しんでおります。

もしご興味のある方は、気楽な気持ちで、是非詩吟同好会に参加してみてください。お待ちしております。

筒井深泉


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