人間禅本部道場

〒272-0827
千葉県市川市国府台6-1-16
TEL 047-373-7572
●北総線矢切駅徒歩5分
メインメニュー
ブログ
検索
このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
  • カテゴリ 武道・運動系同好会 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

ブログ - 武道・運動系同好会カテゴリのエントリ

本当に自分に納得がいくものというのは、万人に共通で時代も超越している。そういうものは(本当に自分のものにするのは)大変ですよ。

東洋では、それを名前を付けて「法」というんです。
「法」というものは、日本では「神」、かんながらのみち、儒教では「誠」とも「道」ともいう。
土地によって説きかたは違うが、根本は同じで、人間が作ったものではない。人間ではどうすることも出来ない。
しかし、そういうものがあるということを信じることが、人生の土台になる。

それが入るのは145歳のときが一番入りやすい。
私にその体験があった。

16歳のとき、校長先生から聞いた話で、私はそれで一生来ちゃった。
どういう話かというと

日蓮が「俺はもう悟りを開いた」というつもりで冬道を歩いていると、橋の下で乞食が寒そうにうずくまっていた。
日蓮が衣を与えると、乞食は知らーんぷりして何も言わない。そこで、さすがの日蓮も、「あんたは人に物をもらって有り難いと思わないのか?」と乞食に言うと、乞食はこう言ったというんだ。「あんたは人に礼を言ってもらおうと思って衣をくれたのか?」

この乞食の一言で、日蓮はホントーに悟った、という話だった。
この乞食は、お坊さんだな。お坊さんが修行してるんだな。

それが私は腹に入っちゃったんだなぁ。
人に施して求めない。ただ与えるだけ。それでいくとね、世の中がラク(楽)ーになる。

法定の形の根元は「法」。その「法」を修行する。容易なものじゃないが、本当は難しいものじゃない。自分の身体の中にあるものを磨いていけばいいんだから。

そういうものがあるということを、若い人は信じること。

では、歳をとったらダメかというと、そうではない。
80歳で志を立てて、不眠不休の座禅3年で徹底した例もある。
そういう物凄い力というのは、年齢じゃないな。


以上、平成2年8月、水戸内原武道修練会にて。宏道会60周年記念品DVD第1巻より。

※DVDが聞き取れないと言う方がおられたため、栗山が大筋をまとめました。
タイトル、()内栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (193)
色々なものを研究すると面白い。剣道は坐禅と違って立ってるからな。

三祖僧サン大師は、大勢の人にお説教して、終わった後、大きな樹の下で「立ったまま」遷化した。
偉い力だな。坐っての遷化はあるが、立って遷化というのはすごい。

三祖大師。三祖大師の「立った」「あれで」構える。同じ人間だもの、出来ない訳はない。そこへ「ズーッ」と。

赤ん坊もそうだ。1歳ぐらいになってね、お母ちゃんが呼ぶと、やっと立つ。
初めてだと、手で調子を取りながら立つ。おいでおいでをすると2、3歩あるいてベタッとなる。
あの「立ち姿」だ。

何の意識もない。それで、ちゃーんと大自然と一体になってる。だから歩ける。そこなんだ。 
全然頭を使っていない。それでも歩くことは歩く。

そういうところをいつも念頭において修行をしていると、剣道の本当の構えが出来る。

これは一つの「公案」(こうあん。禅宗において修行者が師家から与えられる問題)だな。三祖大師の「立ったままの遷化」。

実際には出来はしないが、偉いもんだねーッ。立ったかたちはともかく、その境涯がね。
だから剣道は、あんまり技に走っちゃうと、剣道そのものが無くなる。

一刀流の最後の教えに「見山」というのがある。
「山を見る」。「○」が書いてある。全部技を取った後のかたち。だから、叉手当胸だよ。
これが剣道だ。この中にあらゆる技が含まれている。
これが剣道の本目録の最後だ。

それだから、一刀流は「道」に適っている。「当てっこ」じゃない。


昭和56年11月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

タイトル、構成、()内…栗山令道



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (178)

鍛えておけば、どんな問題だって解決できる。これ(生死の問題)は頭では解決出来ない問題だよ。

みんなは、今一番大事な時だ。ただ、この問題は催促がない。食欲は催促がある。催促があれば食べるでしょう。
生死の問題は催促がないから、放っておけばそのままいっちゃう。そして、ぶつかった時に慌てる訳なんだよ。
催促はないけれども、根本問題だから、自分でよく考えてね。

死ぬこと一つ研究しても生きられるんだね。たいしたものだ。

あれほどの山岡先生(山岡鉄舟)が、鼠小僧の話を聞いて感心している。
打ち首になる時、首切り朝右衛門が斬れなかったってな。三度目にやっと斬った。
鼠小僧の態度がどんなだったかというと、そこへ来て、ただ「お願いします」と言った。
山岡先生は、「わしの剣は、鼠小僧に及ばない」と言った。

死の位置でもそんな上がある。
慌てて死ぬぐらいは誰でもやる。森の石松だよ。
森の石松とは違う。首切り朝右衛門が斬れない。「死」の一事でそうだ。

木村篤太郎(大正・昭和期の弁護士、政治家、剣道家。全日本剣道連盟の初代会長を勤めた)さん。現在96だよ。3年前、「私も93だが、鼠小僧のような訳にはいかない」と言ったよ。
木村さんも、そこを研究しているんだね。研究しているから元気があるんだな。
問題を持っているから。修行しているわけですから。

「死」の一事。今96歳で、まだ社会に通用するんだ。そういう本当の事を研究していると、そのこと自体で生き甲斐になるんだね。

そういう「死」は単なる死じゃない。生死を超越したものだ。「死」という言葉で表現するのはおかしいかも知れない。

剣道だってそうだ。相手の前にその気持ちで「ズッ」と立てばなんでもない。
ところが、その気持ちでないから、相手の竹刀が邪魔になる。なんでもありゃしない。
形のように、本当に切り落としの精神で望んでみればなんでもない。

「切り落とし」ということを、言葉の上で分かっている。所作としては分かっている。
しかし、これが本当に身に付くということは容易じゃない。身に付いていない証拠が稽古に現れる。
そういうふうに反省して稽古すれば為になる。

昭和5611
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
タイトル、構成、()内栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (213)

(前略)
私は、生死の問題は20代に解決しておかないといけないと思う。
これが大事だよ。これを無視してほかのことをやっていても駄目だ。

山岡先生は、21歳の時言ってる。
「死ぬぐらいのことは、腹を決めれば何でもない。そんなことをしないで、いつでも従容として死ねるようになりたい。」。
ねっ。度胸なんか決めない。「それが修行だ」と言ってる。21の時にそう言ってる。

剣道でも浅利先生という良い先生に付いているし、禅でも滴水に付いているからね、ああいうふうになる。
21歳ぐらいでそういうふうだから、偉くなる。
ただ稽古ばかりやっていても駄目だ。20代は大事ですよ。

もう一つは「行」だ。だから、禅はいいんだ。坐るという「行」があるから。禅は大したもんだね。

山岡先生も坐ったまま死んでるな。
「皆さん御機嫌よう、一足お先に」と言って死んでる。大勢集めてな。

死ぬ前でも景気がいいな。死ぬ2、3日前、「円朝、みんながこんなに大勢見えているから、ひとつ落語をやって聞かせろ」と。
それで、円朝仕方なしに落語をやってね。

そういう晩年は余裕がある。それは、若い時の心がけだ。
歳を取ってから考えても間に合わない。また、考えもしないよ。

社会の生活が忙しくって、夜はくたびれちゃうから寝ちゃう。仕事仕事で、考える暇なんかありはしない。

そういう大事なことを持ち越して、それにぶつかるまで知らない。それで慌てる人もあるんだけれど。

誰だってぶつかる問題だからね。その解決が禅であり剣道なんだ。
だから「当てっこ稽古」でなくね、本当の古流から来た剣道をする。古流の剣道の中にはそれがある。「切り落とし」はそれだ。
だから、剣道は体育じゃないです。

それで、剣道で苦しいところに耐えると、気力体力が盛んになる。これがものを言う。
それには、20代だ。歳を取ってから鍛えると体を壊しちゃう。

20代は、割合に気がつかない。就職のことと結婚で追われちゃう。
職があって、結婚でもすれば一安心で、すぐ5年、10年経っちゃう。
それで子供でも出来ると忙しくなってね。そうすると、毎日毎日「忙しい、忙しい」になっちゃう。

どんなものにも余裕を持って生活するためには、20代に本当の修行をすることが大切だ。

昭和5611
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
タイトル、構成栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (239)

今の稽古は、打ち合いの稽古をやればやるほど分からなくなっちゃう。分からないはずだよ、方向が違っているんだから。

どんなに長くても、50が境になるな。どんどん、どんどん駄目になる。後から駄目になる。
今は試合ばやりだが、20歳ぐらいで優勝なんかしても、あと10年か20年もすれば体も効かなくなるしね。本人も行き詰まるしな。

今の剣道は試合がいけない。優勝したとか、なんだかんだ。それを目標にしている。
段も奨励法だが、この段もいけないね。段を取るためにやってる。それでないとやらないんだよ。

これは人間にとって必要なものだということに気がついて、自分でやるようになれば、大したものだ。そこまでいく人は、なかなか無いね。

酒井先生が、法定の形でそこまでいってる。
稽古(防具を付けた稽古、地稽古)をやらないで、法定だけで。(しかし、時には防具を付けて竹刀の稽古をされることもあった)
少し分かり始めると、ああなっちゃうんだな。

223歳で加藤先生(加藤完治。直心影流15代山田次朗吉に師事して法定の形を習う。小川忠太郎先生の師。)に付いて始めた。
真剣で、純真なんだね。味があるということが分かったんだね。

そうすると、生活のすべてが法定から出ているみたいだ。自分だけでなく、奨励しているね。
いつでも僕を引っ張り出すんだ。
しかし、偉いもんだな。「自分だけでおけない」というふうに燃えるんだね。
723だ。大したものだね。

だから、223から法定を50年以上やったのかな。
ここ(宏道会)の稽古だって、そうなりゃいいんだよ。

あの人は、竹刀も3尺2寸だ。剣道でどこを練ればいいか知っているから、それでやってる。
現代では珍しいね。あの人は。
加藤先生がおったから出たんだ。あの先生がいなければ、出はしない。

昭和56年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

タイトル、構成、()内…栗山令道



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (231)

何の特技もなくて、名前だけで立ってる人は本当に偉い人だ。

正受老人なんかも、何も有りはしないだろ。坐ってばかりおったんだから。
それであれだけの感化を与えている。弟子に白隠禅師を出してる。

どの位偉いか見当もつかないな。今でもその感化が続いている。現代でも崇拝している人が非常に多いでしょ。

「正受老人」。寺を持たなかった。それは物凄いものだ。

しかしね、普通の世の中じゃ、形式も大事だよ。

私の若い頃、一橋、当時の高商に福田徳三という経済学者がいた。その相棒が京都の河上肇だった。
この頭のいい人がね、「博士になんか成りたくない。けれども、博士にならないと人が言うことを信じない」と言っていた。「学士さんじゃ駄目だ」って言うんだ。「そのために博士になる」って。

一般の社会っていうものはそんなものだ。だから、社会を相手にするには、そういうものは必要だよ。

昭和56年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

タイトル、構成栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 ↑
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 ↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (216)
○○先生はだいぶいい。やはり坐っているから。
(ただ)○○先生も本当に一杯になっていれば、相手が入ろうとすれば突けるわけだ。

突けないのは駄目なんだ。「はたらき」が出来ていない。
自分では「一杯」のつもりでも、手足が働かない。

「スッ」と手を出せばいい。なんでもないんだ。
それを黙っているから、入られる。

その「針の先で突いたようなところ」を研究する。
そうすると、グングン伸びる。

そこで大事なのは「一杯」ということ。言葉をかえれば「三昧」ということ。
つまり、「成り切る」ことだ。

そういう修行をすると、あんまり稽古をしなくても、そこへ行く。
三昧の稽古さえすれば、剣道は進む。

剣道では「三昧」という言葉は使わない。「一杯」という言葉を使う。
一杯と言っても三昧と言っても同じです。その内容を平素修行する。

それで、その「一杯」ということが「大事だな」と自覚すれば、しめたもの。
そこをしっかり修行しなくてはね。
その手段が「法定の形」であり「一刀流の形」なんだ。

そういう大事なところを取り外さないように。

当てっこじゃない。当たるか当たらないかは、結果なんだ。
当てっこなら、ごまかしても打てる。

道具を着けていれば、命に別状ない。そんなことは意味はない。

「本体」を「ズーッ」と養う。これが剣道の修行。

昭和56年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
タイトル、構成、()内…栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 

にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (228)

今日は、稽古について話します。本体ということ。 

左手を「こう」持つ。これが本体。これがバラバラになっちゃだめ。
自然体が大事。「体」。

それに、右手を軽く「こう」添える。
これで、三角矩が決まる。剣先と目と腹。

普通ですと、構えから始めるけれど、構えの元に「本体」がある。本体から構えが出来る。構えから技が出る。

その「本体」を教えているのが、直心影流の努力呼吸。
努力呼吸で本体を練る。
極端に言えば、かかとが地球の中心まで入るような気持ちで。

雲弘流では、これに「一杯」という名前を付けている。

【雲弘流一杯は、思わず、おもんぱからず】。
だから、思ったらだめだ。
そして、
【技は風のごとく起こり、雲のごとく変ずる】と言っているが、そんなところを捕まえたらだめだ。
「本体」つまり「一杯」というところを修行しなくては。

頭のてっぺんから足の先まで「ズーッ」と気合が充実する。
気合が切れれば、そこを打たれる。
充実しようとして「硬直」すると打たれる。

充実と硬直は違う。
「硬直」は「一杯」じゃないんだ。
そうかと言って、気合が抜けておってもいけない。
そこは説明出来ないから、修行して自得するよりない。法定の形でしっかり修行する。

「一杯」になっていれば、打たれっこない。

(以下、次回に続く)

昭和56年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

タイトル、構成栗山令道


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (253)

今、世間で流行っている剣道はどうかというと、道具を付けて「当てっこ」なんだ。つまり、試合だね。試合に勝つことを目的としている人がほとんどなんだ。

皆さんのような小学校の生徒が試合をする。
この間も日本武道館でやったでしょ。何千人も集まった。

北海道から来る、九州から来る、たいへんなんだ。親が付いてね。
そうして、試合に負けると、親が子供を殴っているそうだね。

これでは、全然見当が外れてる。
あんな「当てっこ」は、剣道の中に入らない。

そういうことをやっていた者がどうなるか。「ごまかしても打てばいいんだ」ということになる。
人間として、どんどん堕落していってしまう。

石田先生や加藤先生の剣道は、「当てっこ」じゃない。自分の心を修行する剣道。「当てっこ」とは方向が違う。
この剣道をならなくちゃいけない。

ところが、こういう剣道をやっているところは極めて少ない。


それでは、宏道会剣道はどういう剣道か。
みんな、実践の目標として、「五戒」をを胸に入れる。
それから、剣道では一刀流の形。
これも自分を修めること。
それから、静坐。
これも自分を修める法。

これをやっておれば、悪くなれと言っても悪くはなれない。これを実践していけば。
そういうふうに出来てる。

こういう道場に縁があったということは、皆さんは幸せだ。

ここにある科目をやってさえいればいい。直心影流の形もある程度までいけばやれる。

そういう道場なんです。


24周年ともなれば、立派な道場だ。外から学ばなくとも、この中だけでも「ズーッ」と行ける。そこまで道場として育ったんだ。

皆さんは、ここが道場であるということを知っている。
あとは一人一人のことだ。
これは、一人一人が勇気を出せばいい。腹の底から「ズンズンズン」と勇気を出してやる。

今日の記念式で「これからやろう」という気を起こしてもらいたい。


昭和55年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
タイトル、構成…栗山令道(宏道会)


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (278)

(宏道会)24周年の記念式にあたって、一言私の考えを述べます。

この式にも出席したことのある人てすが、昨年亡くなった元最高裁判所長官の石田和外さん。

石田先生が30代の時に私にこう言った。
「世の中のことは、みんな剣道だ。みんなやらないから、知らないんだ。」

石田先生は、そんなに秀才じゃないですよ。東大で落第している。それで最高裁の長官までいって、4年間勤め上げた。
法曹界では大成功ですよ。

それが何かというと、剣道なんだ。
これは、どの方面の人でもそう。

内原(茨城県水戸市)に加藤完治という人がいる。満蒙開拓義勇軍を作った人だ。この人も、
「世の中のことは剣道が根本だ。」
と言っている。

この根本の上に色々なものがある。根本は剣道なんだ。戦争で負けたから事業は失敗したがね、これは大事業だった。

それから、あの先生は大教育者なんだ。その元は剣道なんだ。

(中略) 

つまり、剣道は、軍人でも教育家でも役人でも他でも応用できる。

岩崎小弥太さんなんかは実業家だ。
「どんなことがあっても、三菱では剣道を止めるな。」
と遺言している。

剣道は元になる。そういうことを皆さんは知っとく必要があるね。


ところが、どんな剣道でも良いというわけじゃない。
石田先生が言う剣道とは、無刀流なんだ。山岡鉄舟先生の剣道なんだ。

竹刀だって3尺2寸の短い竹刀を使っている。
それで、無刀流と一刀流の形をやった。
これが石田先生の剣道なんだ。

今言った加藤完治先生の剣道は、直心影流の形なんだ。道具を付けた打ち合いじゃない。
軍人の草刈さんは、無刀流の形。

そういう剣道なんです。
これが大事なんです。

(以下、次回に続く)

昭和55年8月
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
タイトル、構成、()内…栗山令道



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村
 
よろしければ、こちらをポチッとクリックしてみてください。
よろしく、お願いします。
 
にほんブログ村 格闘技ブログ 剣道へ

にほんブログ村

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (258)