人間禅道場

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ブログ - 最新エントリー

◆回想ーーー小川心耕さん(2

   『君と一夕話』

~君と一夕話、読むに勝る十年の書~

          徳利山

日暮里駅からJR鶯谷駅方面に向かって4500メートルほど歩いたか、ふと、商店街の道端で目に止まった手書きの言葉があった。
  君とともに春風に座し
  秋月を分かたんと欲す
なぜこんなところに、こんな風雅な句が!?…と近づいてみると、その句の横に居酒屋の入り口があって、どうやらその居酒屋のキャッチコピーらしい。写真を撮ってその場を過ぎた。


後日、何か出典がある句かも知れないと思って調べてみると、徳川時代から明治・大正を中心に広く普及し、多くの文人・教養人に愛読された『酔古堂剣掃』(すいこどうけんすい)の中に次のような句があることを知った。
「肝胆相照らせば、天下と共に秋   月を分かたんと欲す。意気相許せば、天下と共に春風に座せんと欲す」
刺身居酒屋新太郎のキャッチコピーは、どうやらこの句を詰めたものに違いなさそうだ。

心耕さんの父、無得庵こと小川忠太郎先生は、宏道会での稽古後の座談の中で時々安岡正篤師の話をされたが、『酔古堂剣掃』は、その安岡正篤師が推奨する中国明末の名著である。
時の教養人陸紹?(りくしょうこう)が長年愛読した儒仏道の古典の中から、会心の名言・嘉句を抜粋して収録した読書録だ。

その中に、「君と一夕話…」というのがある。
「君と一夕話(いっせきわ)、読むに勝(まさ)る十年の書」
一夕話とは、ある晩語られた話のこと。十年かけて勉強したり読んだ本より、君と一晩語りつくしたほうがずっといい、という意。

この名句を思い出すたびに目に浮かぶ光景がある。何年前のなんの会の時だったか、日暮里の擇木道場で心耕さんと二人、飲み明かした時のことである。
いつものように静かに、しかし沈黙の間も、お互いに吐く息吸う息を味わっていた。通う心の「さざ波」…
気がつくと、小鳥の声を聞いていて、それぞれの帰途についた。



旅の電車の中で、旅の宿で、海のそばで、山の中で、滝川のほとりで、花の下で、月の下で……一体どれだけの時間を心耕さんと酌み交わしたことだろう?!
そんな、二人のひとときを思うとき、浮かんでは口ずさむ詩が、真山民の漢詩「山中の月」だった。
詩中の「月」が、心耕さんと重なるからだろう。
そしてそこに、この詩を大学の吟詠部時代に二人で合吟した親友米井が重なる。
「月」と「我れ」と「親友」が溶け合う。

  我れは愛す
  山中の月
  烱然(けいぜん)として
  疎林に掛かるを
  幽独の人を
  憫(あわれ)むが為に
  流光衣襟(いきん)に散ず
  我が心本(こころもと)
  月の如く
  月も亦(また)
  我が心の如し
  心と月と
  両乍(ふたつなが)ら
  相照らし
  静夜長(とこしな)えに
  相尋ぬ


   *烱然…皎々と輝くさま。*
   疎林…木がまばらに生えてい
   る林。*幽独…孤独。*衣襟 
   …衣の襟(えり)元。*心本
   …本来の私(の心)。   

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第344回坐忘会

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人間禅道場 2019/12/9 19:51

第344回 坐忘会


 


  開催日:令和元年12月8日(日) 場 所:本部道場南寮


  参加者:10名  投句者:6名  投句数:105句


 


 ささやかな料理、酒もあって楽しい年忘れ句会でした。


 句評交えた句談議が盛り上がりました。


 


 今回の兼題は「冬麗」「蜜柑」「寒燈」


 最高得点者は義幸さんでした。


 


 参加者が選句した結果、各自の高得点句を紹介します。


                      (順不同) 


 冬麗や何処まで走る一輌車           幽 谷先生


 


 寒灯や改札省略田舎駅             幽 水


 アロエ蕾む安房白浜や冬麗           蜂 生


 


 空寒くロープウェイの軋む音          祖 芳


 冬うらら孫と遊びて日暮れる          元 山


 


  義仲寺朝日堂


 はにかみし庵主の遺影冬うらら         温 雄


※冬麗一人降ろしてバスの去る          玄 妙


 


 軒下で父母の掛合い大根干し          妙 珠


 十二月けふは二件の忘れごと          桃 雲


 


 冬の日の温む柱に触れてみる          義 幸


 寄る齢に何はともあれ根深汁          蕉 山


 


  成田参道


 冬麗うなぎ屋賑はす異邦人           竜 穏


 冬麗や日の丸客船湾に入る           光 舟


 


  香蘭渓


 塩の道教える女や柿簾             慈 啓


 夫の愚痴背中で受くも冬麗           眞 澄


 


※:最高得点句 


次回兼題「去年今年」「初夢」「葉牡丹」


(桃雲記)

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蠟八摂心は1215日(日)からになります!


 


蠟八とは蠟月八日を指しており、お釈迦様が128日に悟りをひらき、仏道を成就されたことにちなみ、僧堂では古来から蠟八摂心を行っております。
我々人間禅でも、蠟八摂心を各地で行っており、最後の晩は徹宵(眠らずに夜通し座禅に打ち込むこと)することが習わしとなっております。
このたび、市川市の人間禅本部道場にて1215日から22日まで首都圏の支部禅会各部合同で摂心会を開催いたします。もちろん、初めての方も大歓迎です。
さあ、今年の心の大掃除を一緒にやりませんか!
お待ちしております!!

玉道 記



今年の心の大掃除!一緒にやりませんか!

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第343回坐忘会

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人間禅道場 2019/11/18 17:30

第343回 坐忘会


 開催日:令和元年11月17日(日)  場 所:本部道場南寮

 参加者:10名  投句者:5名   投句数:100句
 

 寒さが確かなものになりました。

 今回の兼題は冬の季語「初時雨」「牡丹鍋」「山茶花」

 久々、祖芳さんの投句がありました。最高得点者は幽水さんでした。

 参加者が互いに選句した結果、各自の高得点句を紹介します。(順不同)


 初時雨鴉は暗き田に紛る            幽 谷先生


 神田あんこう鍋

 伊勢源ののれんをくぐる初しぐれ        竜 穏

 初時雨密かに木の葉色増して          桃 雲


 誉められて猫に物云う冬帽子          蕉 山

 夜業なり衛士の提げる鍵の音          祖 芳


 山茶花や老いて悔いなきこの十年        蜂 生

 地獄の門暗し欅の冬紅葉            義 幸


 墨流る白木卒塔婆初時雨            温 雄

 錆包丁研ぐや軒下初時雨※           幽 水


 贈られし柿の熟すを待つ夕べ          道 妙

 歳時記を忘れし旅よ秋惜しむ          慈 啓

 

  六角堂磯菊繁り波の音             元 山

 本宅を守る暮らしに初時雨           妙 珠


 猪鍋や黒びかりする中柱            玄 妙

 初時雨襟掻合せ小走りに            眞 澄


※最高得点句(先生除く) 次回兼題「冬麗」「寒燈」「蜜柑」

(桃雲記)

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第342回坐忘会

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人間禅道場 2019/10/23 8:00
第342回 坐忘会

 開催日:令和元年10月20日(日)  場 所:本部道場南寮
 参加者:9名  投句者:5名   投句数:100句

 19号台風が大きな傷跡を残して去り、突然寒さがやってきた日、
恒例の句会が開かれました。最高得点者は蜂生さんでした。

 参加者が選句した結果、各自の高得点句を紹介します。(順不同)
 
 後の月膝におもたき唐詩選               幽 谷先生
 
  練りし手に味曽の香移る秋日和             慈 啓
  葬儀終え只何もなく虫の声               元 山
 
  秋深し過ぐる夜汽車の人の顔              玄 妙
 鬼瓦の顔洗ひ上げ野分去る               義 幸

 北風激し旋る小家の風車                蜂 生
 寒村に明るさ余す後の月                眞 澄
 
 秋深し路地に濡れたる素琴の音             幽 水
 秋深し金箔を蒔く技見入り               妙 珠

 振り返り金木犀を確かめる               桃 雲
 雨の後蜩鳴きて締め括る                道 妙

 秋深し螺鈿の文箱にガラスペン             蕉 山
 吊るし柿夕日の色をそのままに             竜 穏
 
 石道の暮れて高野の秋深し               温 雄
 秋深し路地に濡れたる素琴の音             幽 水
 

 
(桃雲記)
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流祖墓参

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人間禅道場 2019/10/19 16:52
人間禅中央支部の富嶽です。
小野派一刀流開祖である小野忠明、忠常の墓参に行ってまいりました。
人間禅道場に附属する剣道団体である宏道会は今年で63周年。毎年恒例行事の流祖墓参は53回目になります。
宏道会が10周年の時に一刀流17代宗家の笹森先生から「お墓が荒れてるのにお世話ができていないから」と声をかけられたのがきっかけでスタートしたこの墓参行事。最初の時の墓参は何年も掃除されていなかったので、ものすごく荒れていたらしいです。
今年は二度の台風の影響で、木は倒れているわ枝葉が道を塞いでいるわで最初の時の墓参の状況はわかりませんが、例年に比べてかなり掃除のしがいがある状況でした。




今回は禮楽堂から海和先生もご参加頂き、総勢21名で大掃除。ノコギリで竹を切ったり枝を切ったり、チェーンソーで倒れた木を切ったり、山と積もった枝葉の山で見えなかった地面を掃いて足の踏み場を作ったりとなかなかの大仕事でしたが、人手があると作業が捗ります。



途中で雨が降ってきたので、今回は掃除とお参りのみで、奉納演武や読経は出来ずじまいとなりました。
ですが、終わってみればこの光景。




上の写真と比べても見違えるような光景が気持ちいいですね。一人一人線香を上げ手を合わせ、最後は集合写真を撮って流祖墓参は終了となりました。
小野派一刀流開祖である小野次郎右衛門忠明と二代目忠常の墓。場所は成田山新勝寺にほど近い場所にあります。千葉県指定史跡ともなっています。我ら宏道会が稽古している小野派一刀流の小野忠明・忠常の墓。ぜひお立ち寄り下さいませ。

【小野忠明・忠常の墓】
千葉県成田市寺台542-2
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四季折々(9)

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人間禅道場 2019/10/16 10:42

藷つくる花壇のありて保育園  戸塚 義幸

 散歩の途中芋畑を見つけた。「おやこんな所に」と驚いてみると、子供の声もあり、保育園だった。この納得感を句とした。花壇は四季折々の花の咲くのを楽しむところであるが、この保育園では、子供たちの秋の芋ほり行事のため、花壇にサツマイモを植えているのだ。子供たちの事を考えると、トマトやキュウリでは駄目だ。保育園と藷がマッチした句。おいしい焼き芋が今年も食べられるぞ!
(『俳林』15号より)

飯田幽水

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四季折々(8)

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人間禅道場 2019/9/30 9:56

寂庵

虫時雨嵯峨野の道の夜は深し 大熊蕉山

 嵯峨野と言えば、渡月橋、天竜寺、平家物語の祇王、定家の小倉百人一首、俳句の落柿舎など次々と思い出される。ブラタモリ風に言えば京都の縁で、竹林と紅葉の名所だ。しかし、現在、瀬戸内寂聴師が天台の僧侶として、活動する所でもある。多くの人は昼間の観光で夜の嵯峨野を知らない。作者の寂庵訪問の印象句だが、夜、周辺を歩いて昼間との違いに驚き、虫時雨に一層嵯峨野の闇の深さを感じたのであった。
(「俳林」15号より)

飯田幽水

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第6回『人間形成と禅』輪読会

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人間禅道場 2019/9/29 20:57

6回を迎える今回の内容は、「B.人生をどう味わうべきか?」「Ⅲ.宗教について」の最終章である「14.文化人に宗教は不用か?」から始まりました。

この章は本当にしびれる内容でした。宗教に対する偏見や先入観を丁寧な説明で取り除き、本当の宗教とはどういうものかが明快に記されています。名誉総裁老師も、この章を読み、人間禅で修行をする肚を決めたと仰っていました。

以下、一部分を引用したいと思います。

「死に対する恐怖におそわれ、何か永遠なるもの聖なるものにそのつながりを見出して、安心して笑って死にたいというような気持ちが起こったとき、愚痴とは知りつつもどうにも耐えられない悲哀にとざされ、大きな温かい慰めの手にすがりつきたいというような気持が起ったとき、誰が何といってもこれが正しいのだ、この正しさの前には、今死んでも満足であるというような、確固たる内部的な心のよりどころを得たいと思ったとき、罪に怖れ因果に戦いてやるせなくなり、どうぞして、この因果の絆をぶち切ってくれる救いをと求めてやまないとき、避けがたい死に対決して、自己の有限性と相対性をまじめに反省して無常感にひたったとき“これだ!”と奮い立つ自覚に燃えたいとき、これらの場合にこそ、理屈抜きで宗教的のものが要求せられるのです。」

「それでは、人間はどうすればよいのか?人生をどう味わうべきか?という問題に、真剣に取り組んでいる、自己に対してほんとうに親切な人々に対して、この無限絶対に対する根本的欲求をどう捌いたらよいのでしょうか?そこに、ほんとうの宗教の存在の必然性があるのであります。即ち、有限的相対的な自己と無限的絶対的のものとの間に、正しい通路を打ち立て、自己を、その絶対者の裡に正しく位置づけるのが、ほんとうの宗教なのです。そして、自己がその無限絶対の中に正しく位置づけられたのを発見したとき、人々はそこに、初めて真の安心と真の満足とを得るのであります。この状態を宗教では、救済されたと言い、悟りを開いたと言うのです。即ち、自己に絶望し自己を棄て切って、自己以外の絶対者にひたすら縋るのが他力宗であり、自己の裡に無限絶対のものを見出し、ひたすら自己を絶対者にまで育て上げるのが自力宗であります。」

ここまで宗教について熱く、明快に説かれているものが他にあったでしょうか?宗教は一部の人が信仰するものではなく、ほんとうの宗教は人間である以上、必然的な必須なものであるということが良く分かり感動的な内容でした。「俺は宗教に頼りたくない。」「私は無宗教なの」「宗教ってイメージが・・・」という方も、すでに宗教を信仰している方にも、ぜひ一読願いたいとお薦めします。

輪読会では、名誉総裁老師、総裁老師も臨席され、質問にお応えいただいたり、解説いただけたりと充実した内容となっております。次回は、1123日(土)です。一緒に「人間形成と禅」輪読を通じて、立田英山老大師に迫ってみませんか?お待ちしています!

                       玉道 記

第6回『人間形成と禅』輪読会






『人間形成と禅』輪読会発足にあたって 

                人間禅総裁 葆光庵丸川春潭

この著書は人間禅第一世総裁である耕雲庵立田英山老師が、『立教の主旨』が宣布されてから10年間構想を積まれて出版されたものであり、人間形成の禅とはどういうものなのか、すなわち「人間禅」とはどういう会なのかを世界に開示された著作であります。

その当時の会員(会員番号が400番未満)は全員、座右と書かれた右に自分の名前も書かれた老師署名の『人間形成と禅』をいただきました。小生もまだ道号のない本名を書かれご著書を頂きました。エピソードですが、その当時の旧参の者が所用で老師に相見した際、老師から座右と書いて渡しているのに鞄の中にこの本を入れていないと厳しく叱られたことがあったようです。ことほど左様に耕雲庵老師は、人間禅の会員はこの『人間形成と禅』を常に生活の規範にしてほしいと願われていたのであります。

小生が総裁になっての最初の年頭の垂示(平成19年1月3日)において会員の皆さん全員に、この『人間形成と禅』をもう一度読み直すようにお願い致しました。しかるにそれ以降に入会した方は既に450名余にのぼり、この垂示を直接聞いていない方の方が現在の人間禅では多くなっているのです。

座右の教えをしっかり将来に引き継ぐために、青年部が中心になって人間禅の原点たるべき『人間形成と禅』を読み且つ味わう勉強会を立ち上げてほしいと先日お願いし、禅セミナーの一コマに入れさせていただいた次第であります。


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中央支部摂心会に参加しました

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人間禅道場 2019/9/25 19:45

 擇木道場の風印です。

 市川にある人間禅本部道場で921日まで開催していた中央支部摂心会に参加しました。私は14日夜から参加して、16日朝に仕事のため下山して、19日夜に再度入山しました。


 道場に一泊して朝の座禅の後、再びお茶のご相伴にあずかりました。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 お茶碗や茶杓も手作りのものを多く使っていて味わい深かったです。お茶碗も作るほどに形が整ってくるんですね。


 午前の作務では何かの花の芽が出ているのを見つけました。


中央支部摂心会に参加しました


 何の花か気になっていたんですが、Twitterでフォロワーの方に彼岸花と教えて頂きました。

 道場の先輩が22日に咲いた彼岸花の画像をTwitterに上げてくれていて、20日朝には蕾だったのに花の咲くのは早いものだなと思いました。毎年お彼岸の季節に咲くのは不思議ですね。


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 午後の作務では集めた落ち葉を房総道場にトラックで運びましたが、私も一緒に連れて行ってもらいました。

 房総道場は千葉県四街道市の郊外の林の中にある座禅道場です。畑の中を突っ切ってかなり奥まったところに入って行ったので、本当にこんな所に道場があるのか心配になったのですが、ちゃんとありました。


中央支部摂心会に参加しました

房総道場名物の三日月岩


中央支部摂心会に参加しました

房総道場


 台風の被害でかなり木が折れていましたが、道場は運良く無傷だったそうです。台風は恐ろしいですね。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 道場ではシイタケの栽培もやっているそうです。


中央支部摂心会に参加しました


 今回房総道場はお休みでしたが、11月に摂心会が開催されるそうなので、ぜひ参加したいと思いました。


 再び市川の道場に戻ってシャワーを浴びた後、皆で座禅をしました。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 静謐な空間で座禅が出来るのは有り難いです。


 今回の摂心中に(本当はスマホ禁止なんですが^^;)道場に来なくなった方(以下Aさん)とSNSでお話する機会があって、宗教をやっているような人は弱くて可哀想で惨めな人というお言葉を頂きました。

 私自身特に信仰があるわけではないし、宗教をやっているという意識は乏しいのですが、自分自身に省みて全くその通りだなぁと反省しました。

 一般からみても宗教というと煙たがられたり、変な人と思われるのが普通ではないでしょうか。実際私自身も変な人ですし^^;

 しかし、考えてみると誰でも弱いところはある気もしますし、よく観察すれば誰でも変なところはある気もします。

 私は921日、22日に鎌倉の建長寺で開催されたZen2.0に参加したのですが、広島大学名誉教授でありがとう禅を開催されている町田宗鳳さんから「近づいてみればまともな人間は一人もいない」「禅とは発狂すること」というお話がありました。

 発狂というのはネガティブなものではなく、既存の常識や世間体をぶち破って新しいことを創造するということではないかと思います。もしかすると禅にはそういう力があるのかもしれません。


 Aさんには依存や関係性は束縛を生むというお言葉も頂いたのですが、同じくZen2.0で講演された京都大学大学院教育学研究科 助教授の藤野正寛さんに質問させて頂いて、「つながりと束縛は別のものであり、全ての人は繋がっている。独占欲が束縛を生むので、相手との関係に自我や欲望を載せないことが大切」と教えて頂きました。

 私自身は、在家のまま泊まり込みで座禅や公案の修行が出来る場は中々無いと思いますし、人が成長するには他の人との関わりが不可欠と思っていますので、スポーツの合宿などでも構わないと思いますが、会社とは別に共同生活を出来る場を提供して頂いているのはとても有り難いと思っています。

 Aさんには大変厳しいお言葉を頂きましたが、貴重な気づきの機会になりました。


 座禅は敷居の高いイメージがあると思いますし、お寺の修行ほどではないにしてもそれなりの厳しさはあると思います。また、働きながら摂心に参加するのは中々難しいと思うので、人に勧めていいものか迷うところもあります。

 私自身は道場や道友の皆さんがとても好きですので、そのご縁を大切に、今後も座禅修行を続けていきたいと思っています。


合掌 風印 拝



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